八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

祐気の信憑性

彼女がこの世を去ってしまったという事実をどう解釈すればいいのか、厳密にはまだ分かりません。「祐気をとっていたのになぜ?」と、気学(祐気)を全否定されても仕方ありません。しかしながら私は、このような事態に見舞われてもなお「祐気の信憑性はある」と実感しております。

この1年間、祐気のおかげで救われました。祐気のおかげで心の回復が早まったと実感しております。祐気をとっていなければ、いまだ失意の底に沈んだままだったでしょう。「時間薬」という言葉がありますが、それを気学の遁甲に当てはめると、少なくともあと2年間は失意が募りますから時間薬の効果を実感するのはまだまだ先のはずですが、1年前の自分と比べると、だいぶましになったのが分かります。

計画(予定・予想)していたことが早まったのも祐気のおかげです。このブログを立ち上げたのもその1つです。家の中の片づけも、祐気のおかげで驚きの展開となりました(詳細は個別にお伝えします)。

「なぜ?」とただ引きこもって苦悶しても物事は進みません。外に1歩、足を踏み出さないといつまで経っても解決にはたどり着けません。その1歩を、どうせなら方位やタイミングを気にしてやってみてはどうか、それが気学です。そのことをこの1年間、痛感しております。

祐気を採ると、必ず何かが変わります。その何かが、たとえ自分の目的(予定・予想)と反していても、それは天意ですのでいずれは幸慶へと通じる、そう信じております。

盲目的といわれれば、まあそうかもしれません。でも明確な理由はなくとも盲目的ではないと確信している自分がおります。こんな目に遭ってもなお気学を信じられるのはなぜ?今はまだうまく答えられません。気学を教える立場のくせになんとも頼りないかぎりですが、とにかく、私は今後も祐気を採り続けます。

なので祐気(気学)の信憑性は、皆さまそれぞれで実感していただくしかありません。私がいくら声を大にして「トラスト・ミー」と叫んでも意味がありませんので。5年後くらいならば、自信をもってお勧めできるかなと自分に期待しております。