八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

「かんたん」という魔法

前回の記事は、ホームページからコピペして数秒でアップできた。

「・・・・」

数秒でできることを私は4年間もかかってしまったという事実に、しばしボー然とした。コピペできない仕様だったはずなんだが。。。

物事ってなんでも「かんたん」なのかもしれない。難しいことなんて無いのかも。東大に入るのだってオリンピックに出るのだって、難しいと思わず「かんたん」と思えば叶えられるのかもしれない。未婚アラフォーの結婚やひきこもりの社会復帰も、「むずかしい」という呪縛(思い込み)を取り除ければかんたんにクリアできる気がする。

ちょっとの勇気とタイミングで「むずかしい」は「かんたん」に変わる。

この「かんたん」の感覚、東の海外祐気採りをした時にも味わった。東の祐気採りへは、祐気採りをはじめてから10年間、銚子の海を越えられなかった。

そしてようやく初渡米し、帰りの飛行機で「こんなに簡単なのになんでもっと早く来なかったんだろう」と嘆いたっけ。もっと早く来ていれば人生変わってたかも、と。

この「かんたん」という名の魔法、もっと深く研究していけば、あらゆる分野で広く応用できる気がする。

しかしながら、やはりそう簡単な話ではなさそうだな。たとえば、よく言われる「気の持ちよう」という方法では、「むずかしい」を払拭することは難しい。「ポジティブシンキング」があまり効果的でないことがそれを証明している。気の持ちようだけで変われるなら自殺者やうつ病がこんなに多いはずがない。

そうすると、やはり「祐気」というものが大きなカギを握っているのだろう。「気の持ちよう」の気は祐気だろうから、祐気のない人にいくら「気の持ちよう」だと説いても相手を苦しめるだけだ。

じゃあ、みんな祐気採りすればいいのかってゆうと、そう単純ではない気もする。かんたんに祐気採りできる者とそうでない者、そもそも気学と縁がある者とない者という選別(ふるい)からして大きな意味をもつのだろうし。。。

なんだか頭から煙が出てきた。これ以上は後日に考えよう。

えーっと、とりあえず話をまとめると、とにかく何ごとも「かんたん」と思い込むことで、物事がスムーズに運んだり、少しでも不安が解消されて心が軽くなるならば、それはとても良いことだと思います。