八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

1000本ノック

野球の1000本ノックやら比叡山廷暦寺の千日回峰行だったりと、「1000」という数字はいまの自分を大きく変えるための努力の目安としてよく使われています。このブログも、記事を1000本書いたら状況を変えられるのではと思い、開設しました。いや、うそ。1000という数字は後付け。でもコツコツ書き続けてたらこの状況を変えられるかもと思って始めたのは、ほんと。

Chikirinさんというアルファブロガーがいらっしゃる。私が初めて「Chikirinの日記」と出会ったのは3年前か4年前だったかな、当時からかなりの人気だったと思うが、そこから現在に至るサクセスは凄かった。昨年には本も出版されて、もうじき3冊目が発売される。このChikirinさんの取り組みというのが、私の思い描くビジネスモデルとして非常に参考になっていて、ブログを書く大きな動機になった。

で、Chikirinさんがなぜ大成功されたかというと、もちろん才能豊かなことは当然です。1つ1つの記事の内容は非常に濃密です。でも私が注目しているポイントは、記事をずっと書き続けてきたということ。その継続力こそがすばらしく、私はそこにあやかった。

私はあんな濃密な記事はとてもじゃないが書けない。でも記事の内容が薄くても、書き続ける努力なら私でも可能かもしれない。書き続けていけば、売れる本は書けなくても出版すること自体は可能だろう。そしてその1冊の本から次の1手が打てると期待している。

しかし、誰にも読まれないブログを書き続けても意味がない、と、勝間和代さん。はい、そこは非常に懸念しておりました(汗)。記事があるていどの数まで溜まればそのうち読んでくれる人も現れるだろうと楽観視したものの、どんなに書いても書いても誰にも読まれない可能性も十分ありえるとビビってたのも事実。勝間さんは「本を書く努力の5倍以上、売る努力をしている」とのことで、自分の作品を多くの人の目にふれる機会をつくる(更にはお金を払ってもらう)というのは生半可なことではないのだと、改めて思った。だが先日、読んでくださった方がいらしたことで(しかもこんなにも早く!)、私がしようとしていることはゼロ(何も生まない)ではないという安心と自信が持てた。千里の道の一歩が踏み出せたので、次は歩き続けることに努力を注いでいく。そしたらまた次にすべきことが見えるはず。大きな光明が現れるのは3年後、2015年。それまでにどれだけ記事を書けるか。その後の発展はこれからの努力次第。

で、ざっと計算してみた。Chikirinさんは、2005年から週に4~5本の記事を書いてる。1年間に200~250本ほど。私が初めて読んだ時にはだいたい1000本くらいの記事を書いている。そこから更に500本ほど書いたのちに出版、ってかんじだったと思う、たぶん。まあ、ざっくり考えても、1000本書ければどうにか次のステップに進めることは確かだろう。で、毎日書けば3年後にはこのブログ内に1000本の記事が蓄積されている。目標をゆるくもっても、3年後に300~500本くらいにはなってるはず。また少なくとも300本目や500本目の記事の頃には、今よりも書く力、伝える力が上達してると期待してる。

本1冊の文字は10万字。ブログ1記事1000~2000字だから、ネタ50~100本で1冊完成。500本や1000本のうち1割使える文章があれば本が出せる。本が出せればそれをもって営業にまわれる。講演することも可能。そしたら新たな顧客を獲得できるチャンス。妻が遺したものを守れる。今は漠然とそんなストーリーを考えている。

ただ、実際に1000本のネタって、想像もつかん。100本くらいならどうにかなりそうだけども、1000本か、ハンパねえ。

糸井重里さんは更に凄い。もう14年間も、ほぼ毎日コラムを書き続けている。おいおい、5000越してるよ。それにプラス他の文も書いてるんだもんな、なんだか凄すぎてめまいがしてきた。

糸井さんのビジネスモデルにも憧れる。やがて当会のスタッフもシングルからチームへと昇格できるのが夢。5000本のネタを書ける力がつけば、チームが作れるのかな?14年後、2026年か。人生の最終ピークの年だな。その時までこのブログを書き続けていければ面白いことが起きてそうだな。うん、がんばろ。

ここのところ、寿命がどんどん延びている。今日は3年先まではっきりと未来が見えて、そして14年先までも、おぼろげながら自分の姿が見えた。1000本ノック、楽しみだ。