八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

傍を楽にする

《2005年にホームページにアップしたものを再掲載》

働くとは、労働して賃金や報酬を得る事だけではありません。本来の働くという意味は「傍を楽にする」ということで、とても広い意味を持つ言葉になります。つまり、そこに賃金が発生する事だけでもなく、また発生させても「傍を楽にする」という趣旨に反している事もございます。
とかく現代は、その対価の大小ばかりに目が行ってしまって、本来の「はたらく」という意味を履き違えているのではと懸念してなりません。

我々が働く事により得られる対価は、お金や物だけではありません。それらは気学では、八方位が持つ意味の一つに過ぎません。なので、働く事での対価を目の前の賃金だけの価値観で決めてしまうと、その他の大切なものを見失ってしまいます。
働く事には、プライスレスな部分をも含めての対価があると認識すべきであります。

一攫千金を夢見る事は誰にでもあります。しかしこれは決して、楽して儲けるという事ではありません。プライスレスな部分の地道な積み重ねが、あるとき突然大きな報酬となって帰ってきただけです。なので、濡れ手で粟の一掴みなんて甘い話は、この世には存在しません。正しい働き方、正しい努力の軌こそが、成功へと導いてくれるのです。

「働けど働けど我が暮らし楽にならず、じっと手を見る」などは、典型的な尅気の表れです。結果には、それなりの原因が必ずあります。世の中は、ただ一生懸命にやれば報われるというものではありません。まずは、その「手」に潜むものの改善が、正しい努力の軌です。

現在の日本が抱えている様々な労働問題は、それぞれが己のエゴイズムを正当化している所に要因があります。我々は今一度、働く事を「傍を楽にする」という原点に立ち返って考える必要があるのでしょう。

 

 

ここからは今日書いたもの。

はたらくって、むずかしい。つくづく思い知らされている。私と妻は、金儲けでなく「はたらく」を目指してここまで頑張ってきた。でもいま、私たちがコツコツと努力して築いてきたものが風前のともしびとなっている。おかしいなあ。そんなはずじゃなかったのに。

もちろん、タダで仕事をしてきたわけではない。人によっては高額に思われたかもしれない。でも私たちは、金儲けを主体にはしなかった。

それがいけなかったのかもしれない。 この1年、身につまされている。金儲けの仕組みを無視してきたツケかもしれない。

私の嘆きは、離れていった人に対する恨みごとではない。相手からしたら当然のことと思っている。妻が悪いわけでもない。私も間違っていたとも思っていない。運が悪かっただけ?いや、運は十分にある。運を上げるために気学をしてきたんだから。じゃあ、何が悪かったの?いや、そもそもいまこの状況が悪いことなのかどうかも分からない。

分からないから解明したい。それがいまのモチベーション。

そしてあらためて、はたらくってむずかしい。でも、やりがいはある。