八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

かんたんに「逃げろ」というが・・・

「つらいなら、とりあえず逃げろ!」 最近よくいわれるフレーズ。非常に腑に落ちる。でもね、そうかんたんに逃げれるのか?という疑問が同時に湧きあがってくる。

 

私は、基本的には「立ち向かう」タイプ。これまでマッチョ系で生きてきた。ゆえに、「逃げるが勝ち」という選択肢も視野にある。しかし、立ち向かうタイプでない人が、逃げるという戦術をはたして有効に使えるのだろうか?

「つらいなら、逃げろ!」というのは、マッチョの幻想ではないか?そう懸念している。

「逃げる」というエネルギーも、「立ち向かう」というエネルギーと変わらないのでは?いや、むしろ逃げる方のがエネルギーの消耗が激しいのではとすら思える。

 

ここで強調したいのが「社会は、そうかんたんには逃がしてくれない」ということ。

具体例はいくつか思いつくが、視点を限定させたくないのであえて避ける。

 

「逃げ道」が見えてる人というのは、「かつて戦った人」あるいは「現在戦っている人」だと思う。そういうマッチョの言葉が果たして傷だらけでボロボロの、味方が誰もいない者の心に届くのだろうか?

 

当人の苦しみは、当人にしか分からない。誰もその苦しみを代わってはあげられない。

 

「逃げる」という選択肢はとても有効に思う。だからこそ、同時に「戦う心」を養わねばならない。結局、人はこの世にいるかぎり戦い続けるしかないように思う。

「休憩」することも、戦う上での戦術の1つなのだろう。

 

とりあえず今わたしは、「逃げる」ことと「休む」ことを、うまく極めたいと思う。