八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

恐れの伝染から身をまもる

今回の「おとなの小論文教室。」は、言葉での「恐れ」の伝染について述べている。

要約すると、出かける時などで「気をつけて」と言われると急に恐くなってくる、というもの。

たしかに、今の時期だと「熱中症に気をつけて」なんて言葉は、メールの末筆などでも社交辞令的に書いたりするだろう。その方が「おとな」な感じがするし。

で、ズーニーさんは、その「恐れ=よけいな心配」を伝染させるのをやめよう、というお話。うんうん、わかるわかる。

 

私も、かつて妻から不意に「気をつけてね~」って言われると、「やめろよ~」と言っていた。というのも、妻はいわゆる「能力者」で、一般人が言う「気をつけてね」よりも、はるかに信憑性があって重い言霊を発する。だから私はそう言われると「え?え?何?何?大丈夫?大丈夫?」と何度も聞き返し、「大丈夫だよ」という言葉を聞くまで出かけられなかった。

だからズーニーさんが「急に恐くなって出かけづらくなる」という気持ちがよくわかる。

 

でも、いまはもう「気をつけてね」という言葉は聞けない。ちょっとさびしいかな。

でもでも、だからこそ「大丈夫」なんだとも思ってる。

 

私はむかしから、ひとの意見には翻弄されない。頑なにといってもいい。いわゆる頑固者である。長生きしたら「くそじじい」と呼ばれること間違いない。

でも妻だけは例外だった。彼女の言葉だけは、素直に耳を傾けられた。

 

私はもう、ズーニーさんのようには、他人の言葉で恐れることはない。よけいな心配をされても「ありがとうございます(=ああ、はいはい)」と受け流す。

逆に言うと、いくら他人から「大丈夫ですよ」と言われても、効果はない。

 

自分をコントロールできるのは、もう自分しかいない。

 

この先の人生、「大丈夫」なのかは、それは分からない。でも、妻が「気をつけてね」と言わないので、だから大丈夫なんだなと思っている。

私はものすごく心配性だから常に「大丈夫かな?」と自問自答しているが、でも妻のおかげで、どんなに杞憂していても心の芯では「ま、大丈夫だろ」と楽観している。

 

「愛」に守られているので、私は大丈夫。

だからこそ、自分の頑固さにも、より磨きがかかってしまっている。てへ。