八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

「げんを担ぐ」ことは危険かも

今回のオリンピック、私がテレビやラジオで観戦すると、どうも負けてばかりいる気がして、昨晩は、げんを担ぐ意味で観戦せずに寝た。

そして朝。ネットをつけると、あらら、残念な結果に。

私が観ようが観まいが、結果には何の影響も及ぼさなかった。

 

そんなの当たり前っちゃあ、当たり前。たかが私ごときが応援するしないで結果が変わるわけがない。

冷静に考えれば、当たり前のこと。

でも、ひとは時に、この冷静さを失う。

自分ではどうしようもできない時、わらにもすがる想いで、げんを担ぐ。

 

「運を上げる・運を引き寄せる」ことと、「げんを担ぐ」ことは、似ているようで全く違うおこない。

 

運を上げる、引き寄せるには、目を見開いて様々な情報を公正にインプットし、そこから適切な行動をとる必要がある。しかもこれを、左脳のみでなく、右脳を駆使してあらゆる感覚を必要とする。

 

一方、げんを担ぐ行為というのは、これとは真逆で、盲目的に「思い込み」を強くする行為。科学的根拠うんぬん以前の問題で、ただひたすら自分の殻にこもって天を仰ぐ。しかもそれは一方的で、天からの声さえも耳に入っていない。

だから、最新の情報を入手できず(ぜず)に、誤った(時代遅れ)行動を盲目的に繰り返し、やがて敗北する。

 

勝つために必要なのは、運を上げること、運を引き寄せることで、決してげんを担ぐことではない。

 

体操の内村選手が、団体戦でうまく力を発揮できなかったあと、彼のお母さんが例のお菓子(ブラックサンダー)を差し入れて、「もう食べちゃいなさい!」と促したとのこと。

おそらく内村選手は、げんを担いでお菓子を我慢していたのだと思うが、お母さんは冷静な判断で内村選手を負のスパイラルから救い出し、そしてそれ以降の演技では本来の力を発揮して、念願の金メダルを獲得した。

お菓子を我慢するしないの「お子ちゃまエピソード」と軽視しそうだが、こういった一見くだらなくみえるエピソードにこそ、勝つための重要なヒントが隠されている。

 

これはスポーツといった勝ち負けが明確にわかるものに限らず、己に「克つ」ことを必要とする場合でも、同じに思う。

盲目的に「我慢」を強いても、なんも良いことはない。

 

「げんを担ぐ」行為は、そういった盲目的な過ちを助長するおそれがあるので、とくに大事な場面では、げんなど担がずに、好きなことをしてモチベーションを高めたほうが、良い成果につながるのだろう。

 

なにか、げんを担ごうとした時、ふと冷静になって、その行為が建設的か否かを今一度、確かめる必要があるだろう。そういった行為にすがる「弱さ」に打ち克つには、歯を食いしばって我慢する行為は、かえって逆効果となってしまう。

 

よけいな「縛り」を課すことなく、もっと「楽をする」ことを好意的にとらえましょう!

 

 

 

ということで、おなかの肉を気にせずに食べたいものを食べましょうというお話でした。

さてと、コンビニいこっと。