娘の送り迎え
今朝、ゴミだししている時に、1台の車とすれ違う。黒のアウディ。
停止線で停まると、すらっとした長身の女の子が降りて、笑顔で手を振る。
女の子は駅へ向かい、車は幹線道路に合流していった。
その光景を「高校生の一人娘を送る父親」と、そう勝手に脳内変換した。
実際に誰が運転していたかは見ていない。母親かもしれないし、大学生の彼氏だったかもしれないし。
父親と娘の関係。
いつまでも笑顔で手を振ってくれる関係。男にとって、まさに理想的な関係なのだろう。
コンビニへの道中、すこし妄想した。
もし、私らに女の子が授かっていたなら、と。
私は、もし子供を授かれたならば、女の子がよかった。もちろん妻似の女の子。
その案に、妻はあんまり乗り気ではなかった。絶対に仲悪い関係になる、と。男にとってはそれもある意味、理想なのかも。右腕に娘、左腕に妻が、自分を取り合っている光景。なーんてね。現実は厳しいんだろうな。両方から爪弾きにされるオヤジども。ざまあみろ
「もし〇〇だったら」って妄想は、ついつい、いろんなシチュエーションでしてしまう。
もし妻似の娘がいたら、どうだったのだろうか。
でも、それ以上は妄想は進まない。イメージできない。
かわりに、それを打ち消すイメージばかりが浮かび上がる。
妻似じゃなくて、俺似のバージョン。くっそブサイクだな、それ。
または妻似だけれども、めっちゃ嫌われているバージョン。一生デレの無いツンデレ。
または俺似のブサイク娘に「臭え」「ウザい」と嫌われる最凶コラボ。……絶句。
実際には男が妄想する理想の関係を親娘で築くことは、宝くじを当てるくらいに困難なことなのだろう。だから今朝の光景も、ありゃあ運転手は大学生の彼氏だな。有名私立大のお坊ちゃんがパパに買ってもらった600万円のアウディ。たしか9月までは大学も夏休みだし。うん。彼氏の家(ワンルームマンションひとり暮らし)からの登校だな。確定。加齢臭のひどいオヤジにあんな笑顔で手を振る17歳が3次元でいるわけないって。うんうん。納得。
コンビニの行き帰りのあいだにそこまで妄想できて、おめでたいね、おれ。
でもいつも、妄想の最後は「妻が生きててくれたら」で締め括られる。
娘なんかいらない。そう結論して、現実の世界に帰還する。