わかる未来とわからない未来(前回の補足)
前回記事の補足。よくある会話例に、
「(私の母に)孫を抱かせてあげろよ」というのもある。それが親孝行だと言いたいらしい。こちらの事情を何も知らずに無責任極まりないと憤慨するが、それが世間一般の正論だと思うと黙って耐え忍ぶしかない。
そりゃあね、私らも、できればそうしたかったですよ。かなり長い間、不妊治療をしてましたし、妻も切望してましたから。私は自然の成り行きで構わなかったんですけどもね。でも妻はそれこそ必死でした。今になって思えば、自分が先立つことを予見していたのでしょう。その時に私がひとり淋しくない様にと思って必死だったのでしょう。
東洋医学ではいよいよ手づまりだから、嫌いな西洋医学の方でトライすべく検査を重ねていった矢先に病が発覚したんですよね……。
幸いにうちの母は「死別したから、じゃあ次の嫁もらって孫を産ませる」という鬼畜じゃないので、私の意見は尊重してくれてます。てか、再婚は?なんて話は一生してこないでしょうね。そんなこと私に言った日にゃあ絶縁となるのが分かっているでしょうから。不幸なのは、母以外の親戚は「じゃあ次」ってタイプなんですよね。後継ぎが必要な由緒正しき家柄でもなんでもないのに、自分らはセレブと勘違いしている〇〇ども。だからもうすでに私の方から絶縁してます。これも私なりに母を守る手段なんですけども、外野は「みんな仲良くお手手つないで」じゃないとダメだと思っているお花畑が少なからずいるんですよね。そういうのに限っていざとなったら骨肉の争いをしだすんですから、ギャグすぎて笑えない。
話を戻しますが、死別は、離婚とは違います。死んで清々した、はい次!となるケースもそりゃあるでしょうが、私のようなケースが普通だと思いますよ。だから離婚とは違います。そうそう「はい次!」なんてなりませんって。いくら時間が過ぎてもそれは変わりません。
「でも、やっぱ孫の顔がみたい。孫を抱きたい」とお思いの親御さん。じゃあ、自分の思惑通りに、息子も親孝行のためだと再婚し、孫も生まれました。晴れて孫の顔がみれて、抱けました。で、そっから先は?まさかそのまま幸せが続くと思っていませんよね?
人を物のように扱い、我が息子すら自らの欲望のための道具としているあなたに、そのまま幸せな時間が永遠に続くなんて、そんなのあるわけないじゃないですか(爆笑。
嫁にはいびられ、孫はクソガキになり、息子はリストラされ、あなたの年金や遺産をあてに飼い殺しにされる運命ですよ。ったく、ざまあみやがれですね。
気安く「孫を抱かせてやれよ」というあなたも、同じ運命ですよ。
今日はホラー調で〆てみました。ふふふ…。