八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

「時間が解決してくれる」という誤解

依然としてすべき物事が進んでおらず、今日中に何とかしなければならなくて、うへ。

でもそのかわりに、その他の停滞していた事柄が進みだした。数か月ぶりに連絡がとれた恩人と近況を報告し合ったり、新規のお客様を紹介していただいたり、ずっと喉の奥に引っかかってた案件に光がさしたり等々、曇り空ではあるが清々しさある朝を迎えられた。

光明はまだまだ肉眼では確認できないが、一歩、前進したのがわかって嬉しい。

 

亀よりも遅い歩みだが、地道に、ちょっとずつ、ちょっとずつ、進んでいくしかない。

 

 

「時間薬」という言葉がある。時間が経てば解決するさ的なアレ。これ、世間には正しく伝わっていない。というのも「時間」そのものには、何の薬効も、何の解決能力もない。いくら時間が経とうが、物事は一歩も進まないし、傷も治らない。むしろ時間が経つ分、退化したり、傷の具合が深刻化することさえある。

時間が平気にしてくれるわけではない。

正しくは、「平気になるのには時間がかかる」のである。

もっと詳しく言うと、「平気になるよう、一進一退を繰り返しながら少しずつ努力を積み重ねていき、それが成果として実を結ぶまでには多くの時間を要する」ということだ。

時間薬って、世間一般がイメージするような軽々しいものではない。

たとえば3年経って、復帰を果たした人がいるとする。その人はただ休養して3年過ごしたから復帰できたわけでは決してない。そこに至るまでに物凄く地道な努力を重ね続けた結果、3年してようやく復帰を果たせたのである。

だから「時間薬の効果は人それぞれで、何年必要かは分からない」というのは、そんなの当然な話なのである。自分が復帰するまで何年かかるかなんて自分自身も分からないんだから。努力とラッキーが重なって短い期間で復帰できた者もいれば、努力がなかなか叶わず長い月日を要する人もいる。

 

私は職業柄、ある程度の時間的目安はつけられる。でも、他人事なら「〇〇年後」と断言できるが、いざ自分のことになると、やはり疑心暗鬼にかられる。気学は信用できても、自分自身は信用ならないから。

 

悩み、苦しみ、そのなかでどうにか一歩進み、安堵する。順調だと思っていたら後退することも。その繰り返し繰り返しが、時間薬という言葉の中には含まれている。

そのことを世間は知らない。

てゆうか、「時間薬」という言葉をつくった人もそのことを知らずに、安易な言葉遊びをしただけな気もしている。

 

くり返しますが、「時間」そのものは、何も解決してくれません。

いやそんなことはないという人は、とてもラッキーか、そもそもたいした傷じゃなかっただけです。