不肖の弟子
今日は私どもの気学の先生の誕生日。御歳93歳。
いつもは、この日でなく少し経ってから、年末のご挨拶をかねて妻と共に誕生日のお祝いをさせていただいていた。
先生のところを訪ねる時は、いつも二人一緒だった。私ひとりでは1度もない。だから、いまだ訪ねられないでいる。不肖の弟子だ。師よりも早く旅立ってしまったことも。
二人して合わせる顔がない。
いまだ訪ねられない理由、それは先生に「現実」を再認識させてしまうから。
「ああ、やっぱり亡くなってしまったのね」と、思わせてしまうことが心苦しい。
先生がうちの妻に寄せる期待の大きさは、それはそれは大きなものだった。自分の後継者を公言しない先生だから、実際に口に出すことはなかったけども、先生のお顔をみれば、そんなのは痛いほど伝わっていた。
物言わぬ妻と対面した時、初めて「期待していたんですよ」と、胸の内を仰られた。
「私がかわりにがんばります」だなんて、陳腐なことは言いたくない。
妻が亡くなっただなんて悪い夢。いまだ二人で忙しく頑張っている。
そう思い続けてほしい。
だから、ひとりでは訪ねられない。
あれからたくさん祐気とりに出かけました。不肖ながらも先生の足跡を辿っております。先生のおかげで世界中を旅することができております。先生のご意思は私が責任をもって受け継ぎ、伝えてまいります。
直接は届けられぬ言葉ですが、その想いだけは拝贈させていただきます。
お誕生日まことにおめでとうございます。