八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

ブログを始めて半年が過ぎて

ふと気がつくと、ブログを開始してから半年が過ぎていた。もう7か月か。早いな。

始める前は散々言い訳しながら先延ばししまくってたけど、いざ始めてみたら、あれれ、こんなにも「簡単」だったとは、なんでもっと早く始めなかったのかと今さらながら。

 

この「簡単」も、いろんな複雑な要素が絡み合ってのことだから、だから今さらというよりも、今だから、今このタイミングだったからこうして楽しく続けられているんだろうと、あらためてさまざまな出会いに感謝。

このまま1年、2年と継続していった時の、このブログの厚みと自分自身の厚みが増した姿を想像する楽しみもできた。あ、お腹は薄くなりたい。その目処は…ゲフンゲフン。

 

当初はほんと、誰も読んでくれないことを当然として思っていたから、こうして皆さまに読まれているなんて、ほんとありがたい。

何がありがたいって、「誰も読んでいない」と思って書くのと、「読んでもらってる」と思って書くのとでは、文章能力向上の差が歴然と違う。書く楽しみも違うし、継続の意識も違う。読んでくれているからこそ「簡単」という言葉が使える。

 

もうちょい掘り下げると、読んでくれている人達も「書いている」から、だからこうして私も「簡単」に続けられているのだろう。競い合ってる、のかな?いや、高め合ってる、か。まだ半年のくせに高め合ってるはおこがましい。「高めてもらってる」が正解だな。皆さんそれぞれの「心」の表現方法が、すんごく勉強になる。すんごく楽しい。とても苦しい胸の内に触れて涙することも含めて。

 

ブログを書く「意味」とか「目的」とか、そういった明確なものがない曖昧なかんじ、だなあ。ただ「書きたい」とだけ思っている自分がいる。意味だの目的だのいちいち考えてたら、こうして楽しく続けていられないのかも。

いわゆる「表現者」といわれる人達も同じなのかもしれない。スポーツ選手に、芸術家に「何のために」って訊くのは、野暮というか無意味というか、そもそも本人がいちいち何のためなんて考えていないんだろうから。もし「〇〇の為に」なんて言いだしたらそれは、いい作品、いいパフォーマンスができていない証なのだろう。

「そこに山があるから」って、奥が深い言葉だなあ。

 

「そこにはてなブログがあったから」

なんちゃって。ごますりすり。

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そこにケーキがあったから。キリッ!

「・・・・」