八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

瞬発力と持久力

瞬発力と持久力。スポーツの話でなく、思考力の話。ひらめきと思慮深さ。咄嗟の判断と長い時間かけての吟味。そんな話をすこし。

人生を左右する大きな決断って、たいていは瞬発力の勝負になる。

「あなたは癌です。がーん」となった後はものすごい早さで物事が進んでいく。大事な決断をいくつも即決せねばならない。あまりに早く早くと迫られるもんだから、医師にすべてお任せしてしまう人がほとんどだろう。

「ご臨終です。ちーん」の後も、初めてのことが怒涛のごとく押し寄せる。決断の連続。私の場合はお通夜が4日後だったから細部にまでこだわることができて良かったが、通常は1日か2日しか猶予がない。そんな短い期間で故人の想いを汲む式をするのは非常に大変だ。

もっと身近な場面だと、レストランでオーダーしたら「あいにくそちらはいま切らしておりまして」ってのがある。この時も咄嗟の判断が必要だ。「もう1度メニューを見直します」といってウエイトレスを一旦返すか、あるいは「ではこちらを」と他のメニューをすぐに指さすのが正解だろう。何も言わずその場で「うーん…」と唸ってゆっくり決めるなんて間抜けなことはしてはいけない。そんなことしたら夫婦や恋人同士だったら喧嘩の元だし、親子だったら威厳を損ねてしまう。ちなみにこれは高級なレストランの話ではなくファミレスレベルの話です。高級なレストランだったら客に恥をかかせない工夫がいくつもあるから多少ボンクラでも大丈夫だろう。

「決める」という行為はどの場面でも瞬発力が要求される。

でもその瞬発力を磨き上げるには、常日頃の持久力が必要である。とことんまで物事を掘り下げる思考の持久力が必要である。

物事を深く掘り下げられないと、瞬時に先々を見通すことはできない。そういう人は「付け焼刃」「やっつけ」だけで生きていくことになってしまう。で、あげくはすべて他人のせい。

それじゃあどこが自分の人生なんだか分かりゃしない。

 

人は、失敗する。

でもこの失敗は、あくまで「結果」が叶わなかっただけ。普段から思慮深く生きているならば、瞬時の決断は間違わない。時計を巻き戻しても、やっぱり同じ判断をするはずである。普段からちゃんと責任もって決断してきた人ならば、同じ道を進むはず。

勝負の世界に「たられば」はない。でもそう言う人もたらればを思わないわけではない。頭の中でたらればがぐるぐる廻る。さんざん苦悩したあげくに諦観する。

瞬発的に吐き出された言霊の内には、長い時間かけて熟成させた想いが込められている。

 

人生は決断の連続。そしてそのスピードは年々加速を求められている。だからこそ今後は、瞬発力とあわせてじっくりとことん考え抜く思考体力が必要となるのだろう。

 

表面上の文字だけに安易に噛みつくバカものは、情報の渦に巻かれて消えてゆけ。