八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

卵を床に落として、ああ…

手を滑らせて、卵を床に落とした。冷蔵庫にしまおうとした5個が「あっ…」っと手から滑り落ちて、そばにあったスーツケースを経由して床にボトボトと。あたり一面ヌメ~っとしている。こんな高さから落ちても崩れない黄身がけなげで、でももうそれはゴミとなるしかない事実にムカつく。

卵を床に落としたのは、生涯で2度目。1度目は昨年のパースの旅行にて。卵って、けっこう掃除がやっかいなんだと、その時に初めて知った。

今日はキッチンペーパーがあったから、いくぶんマシだった。そばにあった航空会社から送られてきた未開封の美女カレンダーと、いつ使うかわからないディーン&デルーカの紙袋もこの際に捨てて、45リットルのゴミ袋は満杯に。

床とスーツケースもきれいに拭かれて、いらない物も処分されて、かえってさっぱりした。これが怪我の功名ってやつなのかな。

 

こういう失敗をブログにネタとして投入できるからありがたい、卵を片づけながらそう自分に言い聞かせた。失敗って、誰かのフォローやツッコミがあると救われる。独り暮らし上級者になれば、ボケとツッコミ両刀の独り漫談ができるのだろうが、そんな高等技術は持ち合わせていない。また、リアルにツッコミしてくれる人がそばにいても適切にフォローしてくれるとはかぎらない。「チッ、ったくなにしてんだよ!」というツッコミだったら殺意しか湧かない。

ツッコミを欲するというよりも、誰かと共有したいのかも、この失敗を。だからネタとして書きたくなったのかもしれない。自分自身、中年男が背中を丸めて卵を掃除している姿を披露して何を期待しているんだか知らないが、とにかく自分ひとりで抱え込みたくなかった。食べることなくゴミとなった卵への供養のつもりなのかもしれない。

 

私は、何か失敗があると、それをどうにか意味があることに、ポジティブなことに変換するくせがある。でも今回は、有意義な答えが思い浮かばなかった。これがどんなサインを示すものなのか思い浮かばなかった。

下ばかり見て落ち込んでても仕方ないと顔をあげると、窓の外はいつの間にやら雪景色。

節目の時の雪って、歓迎など色んな意がある。今日は成人の日。この雪はきっと新成人を歓迎しているんだろうが、それにしても結構吹雪いているな。歓迎と同時に世の中の厳しさも示している気がする。20年後にこうして独り寂しく床掃除してる姿なんて、当時はまったく想像していなかった。希望はいくつになっても消えないものだと信じて疑わなかった。

あと20年経ってもまだたったの60歳かよ。生きるのって楽じゃねえな。

 

卵を落としたくらいでセンチメンタルになってる場合じゃない。そして世の中のあらゆる苦も、卵を落とした程度のことにすぎない。形あるものが壊れたからって、だからなんだっていうんだ。

今日の出来事を強引にまとめるとそんなところかな。ニュートンのリンゴのように、私も卵を落として悟りが啓けました。

んなわけない。

今日わかったことは、セブンイレブンの卵は床に落としてもプリプリ新鮮でした。というステマでした。ちゃんちゃん。