八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

泣く為に映画を観に行く人たち

最近は「泣く」ことがストレス解消に良いと、デトックス効果があるということで、泣ける映画などを観て積極的に泣きましょうというのが流行ってますが、これ、難しいと思います。というのも、予告編などをみて「泣ける」「泣こう」と思って気合いを入れて観るものの、本編はまた違ったテイストだったりして、うまく泣けないことがよくあります。

たとえば、レ・ミゼラブル。まったく物語を知らないで観ると、きっとテンポの速さについていけないでしょう。また英語を知らないと字幕を追うので精一杯です。それでもレミゼは登場人物が多いですので、その中の誰かに共感できれば号泣できます。

 

うまく泣くためには「共感性」が不可欠です。泣く行為というのは、結局は自分の都合でしか泣けません。だから、他人から泣ける映画を紹介されても人それぞれとなってしまいます。

たとえば、トイ・ストーリー。私にとっては号泣する映画ですが、普通にファンタジーとして面白おかしく観る人もいるでしょう。それはつまり、おもちゃの立場をどう捉えるかが、人それぞれに違うからです。子供の頃あんなに夢中になって遊んでいたおもちゃ、いまはどこで何をしているんだろう…ごめんね…号泣。の私パターンの人もいれば、いまだ現役で所有しているオタクさんもいるでしょうし、捨てずに残しておいた物を子供や孫に引き継いでるお家もあるでしょう。またシドみたいな破壊神だったら、そもそもおもちゃに対して良心の呵責はないでしょう。

泣ける映画は人それぞれ違います。

泣くつもりななどまったくなく爆笑しに行こうとテルマエ・ロマエを観たら、最後の別れのシーンで思わず泣いてしまい、周囲に気づかれるのが恥ずかしかったこともあります。反対に、先日に観たレミゼなんかは、ジャベールの最後のところで爆笑しそうになりました。きっとこんな感想は私だけです。

映画に限ったことではありませんが、文化や芸術に対する感想は、人それぞれの個人差が大きいです。ゴッホしかり、それらでの商売が難しい理由もわかります。

 

「泣く」って、簡単なようでけっこう難しい作業と思います。

泣くという行為は、何かしらのきっかけがあって心が突き動かされて、それに体がある種の防御反応を起こして泣くわけですが、この時に、反応しやすい体とそうでない体とがあります。私は元々から泣き上戸でしたので体の反応もストレートですが、子供の頃から泣くことを知らない、もしくは無理に我慢する子供だったりしたら、いくら泣ける映画を観たって泣けない体になっちゃいます。体でなく心がうまく反応しない場合も同様です。

 

つまり私が言いたいことは、文化や芸術に対して、はじめから「感情」を決めつけない方が楽しめるのでは?ということです。

〇〇を観て泣きました、笑いました等々の「感動」は、他人の意見を先入観として入れとかないで観る方が良い気がします。で、観賞後に自分なりの「感動」というものを更に分析したり誰かと共有したりする。観る前からあれこれ見聞きしない方がいい気がします。

だから、面白いって聞いたから観るとか、泣けると聞いたから観るとかは、うーん、どうなんでしょう。間違ってるとは言いませんが、そういう風潮には抗いたい自分がいます。たんに天の邪鬼なのでしょうが、文化や芸術に対するアプローチとしては、正しい方法だと思います。他人の意見なんかくそくらえ、自分が面白いと思えば面白い、それでいいのだ、と。

 

私はレ・ミゼラブルを泣く為に観に行きました。全編泣けると聞いて、また予告編を観て泣けると思って。それがそもそもの間違いでした。人それぞれの感想を、先入観を頭に入れすぎました。そうでなければ、もっと楽しめたと思います。

しかしレ・ミゼラブル、だてにロングランしているわけではありません。リピートするほどに楽しさが増してくる作品だと思います。舞台もきっと楽しいに違いありません。あ、また余計な先入観をもってしまった…。

 

期待をしなければそもそも観に行かない、お金を払わない。だから多少の先入観は必要悪なのかも。難しいですね。私が天の邪鬼なのではなく、文化、芸術自体が、そして商売というものがそもそも天の邪鬼なのだから仕方ないですね。

 

泣けると聞いたけど全然泣けなかった。面白いと聞いたけど全然面白くなかった。そういう感想を言いたがりの人、ケチつけるのが好きな人っていますよね。でもそれって、評判と自分の感想が違うことなんて当たり前のことなので、そんなのをドヤ顔で言うのは恥ずかしいことですよ。と、謎の紳士に窘められないよう私も気をつけます。ケチつけるの大好きなので。

↑これ飛行機の中でやってた。面白そうだったが、ツボを刺激されて号泣するおそれがあったので観なかった。