八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

先生は聖職者?

埼玉県の教職員の早期退職者問題ですが、その中で「聖職者としてあるまじき姿」という批判がなされているようですが、教師って聖職者なんですかね?

そもそも聖職者というもの自体がピンとこないのですが、偉い人、尊い人のことを聖職者と一般的に呼んでいるのでしょうか?

埼玉県の件で問題になったのが「お金」についてですが、職務を放棄してお金を選んだことが聖職者としてあるまじきってことなんですよね。

でも、いくらきれいごと言ったってお金って、今の時代は誰もが必要なものですよね。本来の意味での聖職者である宗教関係の人らだって、みんなお金儲けしてますよね。どこぞの経営者が「人間が働くのは、お金を儲けるためではなく人間性を高めるためである」と壮大な自虐ギャグをかましましたが、どんなにきれいごと言ったって、お金は誰にとっても必要なんです。

聖職者とは、お金をもらわないでタダ働きする人のことをいうのでしょうか?

 

私らも「先生」と呼ばれる立場です。ゆえに、金儲けがしづらいしづらい。

とくに現代はなんでもかんでもフリー(無料)の時代だから、私らの労力もタダだと思っている人達が少なくありません。ひどいケースだと、請求書をだしたら「お金がかかるって知ってたら訊きませんでした」って言われたこともあります。

おいおい、こちとらボランティアぢゃねえんだよ。

 

けどもまあ、守銭奴やインチキと言われるのは不本意です。ゆえに、どうしてもタダ働きのケースが多くなってしまいます。それに人から頼りにされるって嬉しいもんです。

埼玉県の早期退職のケース、私からしたらなんでこんなに非難されてまで早期退職するのか理解できません。たかだか70万円でこんなに非難をあびるのは割に合いません。もし私がそれでも早期退職を強行する場合、その理由としては、その職場が嫌いだったら躊躇せず辞めるだろうなと思いました。今回早期退職した人達はきっと、生徒や同僚との仲がうまくいってない人達なんだろうと思います。誰でも、周囲から頼りにされずに疎まれていたら、なんの負い目もなく辞めるでしょう。

周囲から信頼されてたら、周囲の人達のことが好きだったなら、たかだか70万円で汚点を残すような真似は誰もしません。ちなみに70万円は大金だと噛みつかれることを予想して追記しとくと、公務員を定年まで勤めて、しかも逃げ切り世代ですので、一般的にみて、彼らにとっての70万円は大金ではないといって差し支えないと思っています。

 

聖職者って、どんな職業にも言えることだと思います。だってどの職業も対価を受け取ることには変わらないのだから。先生と言われる人だって、教祖さまだって、みんなお金(食料)は必要なんです。ならば他の職業と何が違うんでしょうかね。

タダで対応したら、そりゃあ相手はラッキーって思って感謝も過剰にしてくれるのかもしれませんが、こっちはそれでは生きてけないんですよ。結果、ちゃんとお金を払ってくれる人に対してしか相手しなくなるのは仕方ないことなんです。

金の切れ目が縁の切れ目。

都合のいい時ばかり聖職者として持ち上げられても、ねえ。

 

先生と呼ばれる職業は、もうオワコンなんでしょうか?

気学でメシ食っていける目処がまったくたたなくて笑える。

まあ、ここで嘆いてばかりでも仕方ないので、とりあえず来月に西に行ってきます。