八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

ネットリテラシー

桜宮高校での体罰問題から端を発し、在校生の素行の悪さがネット上で晒されている件。そしてそのとばっちりというか自業自得な人たちまで。ネットって、恐ええ。。

具体的な詳細やリンクは避けますが、つくづく私が高校生の時にネットがなくて良かった安堵感と、今現在や将来に明日は我が身となるかもしれない恐怖を感じます。

 

自分がいくら気をつけていても、見ず知らずの他人から晒されるのまでは防げないですよね。公人か私人かによって区別されてた時代はもう過去のことなんですね。

人類みな公人。それがインターネットがもたらした世界なのでしょう。

なので、

「晒されて上等」

と、いち早く開き直るのが勝ちなんですよね。

岡田斗司夫さんが「いいひと戦略」という本を出されているみたいですが、まだ未読なので内容は分かりませんが、私がいま書こうとしていることが書かれている気がする。

悪いことをするとフルボッコにされるのがネット社会。だから「いいひと」になりましょう。ってことだろう。

 

いい人、ねえ。

難しいよね。

 

うちの妻、めっちゃ、いい人。私以外にもそう思っている人多い。

でもね、つくづく思う。

「都合のいい人」

として搾取され続けただけなのでは?って。

 

岡田さんの本、いいひとになって、で、それでなんなの?

おそらく、こういう「いいことがありますよ」ってこと書いてあるんでしょうけど、じゃあ、そのいいことって何?

カネ儲け?モテモテになるって?

それだけ?

それ以上何を望むんだ!といわれると、反論むずかしいけど。

 

私がイメージするいい人は妻だけど、じゃあ、それでこの世で幸せに暮らせるかといわれると、そういうイメージはできない。幸せの大部分がカネによりけりのこの時代、そして本当にいい人はカネを搾取され続けてきたこれまでの時代。うーん、よく分からない。

だから本書を買って下さいってか。

 

ネットリテラシーによって悪い人が排除されるのは理解できる。でも、その悪い人って、ステレオタイプというか、分かりやすい悪い人とでもいうか、ネットを使いこなせない旧タイプのワルですよね。一方、ネットで評価されるいい人って、本当にいい人なの?新タイプのワルなんじゃないのかい?

 

他人を「いい人」と評価する時、往々にして自分にとって「都合のいい人」でしかない。夫婦とて、結局はそうなのだろう。それでもいいわ私!って者同士はいつまでもラブラブなのでしょうね。無償の愛ってやつね。

夫婦や親子は無償でいいけども、それ以外の赤の他人は、無償はまずいっす。嫌だす。

 

タイトルと内容が乖離してきた気がする。どうしよう、タイトル変えるか。いいやそのままで。ってゆうか、着地点が見えない。

 

いまラジオで「プリザーブドフラワー」についてやってる。これだ。

私らは、枯れたお花、そして枯れないお花を飾るのはお勧めしていません。

お花は枯れることに意味がある。そうお伝えしています。

実際にはもっとはっきりした伝え方をしていますが、それをそのままネットに流すことには躊躇します。業界団体から、やれ営業妨害だ!訂正しろ!謝罪しろ!なんていちゃもんふっかけられるのも嫌ですので。

ネットリテラシーを意識して、情報を振り分けています。きりっ。

 

着地はまあまあな気がするが、なんかすっきりしないなあ。おしりにまだ残ってる気がする。こういう下ネタを挟むのはネット的にありなのかな。ま、程度によるだろうが、どの辺で一線を越えるんだ?

晒す部分と隠す部分。

実名や顔写真のほうが、下ネタよりもよっぽど重要か。

でも、秘密って必要だからなあ。

小学校で「裏表のない人になりましょう」って習ったけれども、この世の中のものすべて、表裏があります。なので、裏表をなくしましょう!という人はクソです。極悪人です。ご注意ください。

ま、今日のところはこんなもんかな。

 

晒す部分と隠す部分をどう区分けするか。

それがネットリテラシーの核心部分だと思います。どや。

…んな当たり前のこといわれてもというつっこみ禁止でーす。