八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

「意識が高い」という言葉の違和感

某所で「意識が高い」という言葉をさらっと使っているのを目にした。私はそれに対して何だか分からない違和感を覚えた。ので、ちょっと考察。

 

「意識が高い(笑)」というのは、たまに目にするし、意図するニュアンスはなんとなくわかる。とんちんかんな事をして天狗になっている奴の鼻を折る的なニュアンスでしょ?つまり「それって意識低いって(笑)」って爆笑してるんでしょ?ちがう?

まあいい。で、そもそも「意識が高い」って言葉、それ自体の正しいニュアンスがいまいち分からない。だって、どう考えても褒め言葉には思えないから。

「頭が良い/悪い」とか、「話が面白い/面白くない」とかならば、もうちょっと分かるんだけどな。

だからか、どういうニュアンスであれ、意識が〇〇って言葉をみると、それだけでアレルギー反応みたいなのが出てしまう。真面目に使っていると(笑)を付けたくなるし、(笑)がついてるものは笑えない。

 

どうもそのアレルギーの根底には、かつての自分を揶揄されてる気がして内心穏やかでないのかもしれない。かつてどころか今の自分、未来の自分をも揶揄されてる感もある。

 

なにか物事を極めようとしている姿は、傍からみたらおそらく「意識が高い」状態なのだと思う。でも、当の本人はただ集中しているだけにすぎない、ただ夢中になってるだけにすぎない。そして、本当に夢中になればなるほど、それをひけらかさないし、他人なんかを意識しない。だから傍から勝手に意識が高いだの低いだの言われるのは、違和感でしかない。 

 

スポーツにおいては、意識が高い者が勝つとは限らない。考え過ぎて弱くなることは、ままある。スポーツ選手の食事にしても「金メダリストだが偏食」とかいった例がいくつも報告されている。メンタル面にしても、金メダルが欲しいという気持ちが強いほど力んでしまって負けたりする。

だからスポーツ界では「エンジョイ」を重視している。

  

意識が高い/低いの「意識」って、いったい何なのさ?この言葉を使っている人の意識(真意)がまったくもって分からない。分からないからつい逆張りに捉えてしまう。

意識がどうのこうのカッコつけてないで、気楽にやろーぜ。エンジョイだエンジョイ!