八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

満足したらいけない病

日米通算4000本安打達成のイチローが会見(全文掲載)/一問一答

 ─他の選手はどこかで満足している。イチローさんはない?

「いえいえいえ、僕満足いっぱいしてますからね、今日だってもの凄い満足してるし、いやそれを重ねないと僕は駄目だと思うんですよね。満足したらそれで終わりだと言いますが、とても弱い人の発想ですよね。僕は満足を重ねないと次が生まれないと思っているので、もの凄いちっちゃい事でも満足するし、達成感も時には感じるし、でもそれを感じる事によって、次が生まれてくるんですよね。あの意図的に、こんな事で満足しちゃいけない、まだまだだと言い聞かせている人は、しんどいですよ。じゃ、何を目標にしたらいいのですか、嬉しかったら喜べばいいんですよ。と言うのが僕の考え方ですけどね」

とても腑に落ちる言葉だったので、備忘録をかねてご紹介。

水泳界も近年は色々と改革が進んでいるので上記のような概念も育ってきているとは思いますが、まだまだ末端の現場までは届いていないように思います。

「こんなくらいで満足するな」的な空気。体罰をも肯定するような熱血(?)指導者がよく使いそうなセリフですね。そういうところの選手はきまって、勝っても否定的な受け答えをします。「もっといいタイムが出せた…」等々と。まだ中学生や高校生くらいなら「僕はもっとできる子」アピールするのも仕方ないでしょう。ほっといても記録が伸びる時ですからね。でも身長の伸びが止まってからは、上記のイチロー選手のように「満足を積み重ねていく」ようにしないと自分で自分の首を絞めてしまいます。かつての私のように。

 

「満足したらいけない病」は、日本独特の病気なんでしょうかね。

「悔しがれ」も同じく、あかん病気です。

上記のイチロー選手のインタビュー、読み方によっては「悔しさが大事」とも読めます。特に最初の方はそう読めます。でもイチロー選手は、勝つために、勝ち続けるためには「小さな満足」を重ねることだと強調しています。4000本安打の裏には8000本のアウト(悔しさ)があるのは事実でしょう。成功よりも失敗の方が印象に残ってしまうのが人間です。イチロー選手とて同じです。だからこそ「満足する」というご褒美を意図的に与えないと、戦い続けることができなくなってしまいます。

これは、人生という長い戦いにおいても同様ではないでしょうか。

日本は先進国の中でも自殺率が高い国です。その要因の1つに「満足したらいけない病」が関連しているように思えてなりません。少なくともスポーツ選手はその病によって競技人生の寿命を縮めていることは間違いありません。

「なんのためにがんばってんの?(笑)」と他人を揶揄したり自分を卑下したりするのも悪しき病気です。

 

イチロー選手がここまで頑張れたのは、また「満足」を肯定的に捉えられるようになったのは、アメリカでプレーしているからな気がします。40歳になるからとか、丸くなったからとかではない気がします。

気学でも「満は損を招く」という言葉がありますが、これは決して満足をしてはいけないという意味ではありません。でもその言葉を聞いて大抵の日本人は「満足はいけないもの」だと理解するでしょう。そういう土壌が日本には古くから根付いています。

そろそろ日本も満足を肯定するようにしていかないと、この先生きのこれなくなりますよ。と、最後はきのこる先生でこの記事を〆る。

〈追記〉

イチロー選手って、もっとユーモアのセンスがあると愛されるように思う。カワサキ選手とのコンビゲイをもっとみたい。