八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

軽率な文字、擬声語

言葉や文章に「動き」を出すための工夫として「文字(顔文字や記号)」や「擬声語(オノマトペ)」を用いることがよくあると思う。私も絵文字をはじめいろいろと使う。その理由としては、硬い文章に「柔らかさ」をつけたいために使う。ブログにおいては毒々しいことを吐く時に使うことが多い。しかしそこでは、私が「嘲笑」してるように受け取られないよう気を使ってる。自分が偉いわけではないし、馬鹿にしたり見下したりしていません、という気持ちを込めて使ってる。これはブログなどの「自分語り」の場合においての用法。

一方、メールやコメントなどの「対話」形式においても、より親しみをこめて使うことが多いが、対話形式では特に「怒ってないですよ」ということを表わしたくて使ってる。またこちらでも嘲笑してると思われないよう注意している。だから(笑)は使わない。

本来はそれらを使わずに言葉の選択や文章の組み立て方で表現できればいいのだが、私にはなかなか難しい。だから細心の注意を払いつつ積極的に多用している。

 

私は、決して「軽さ」を表したくて使っているわけではない。あくまでもショックを和らげるためのクッションであって、重さそのものを軽くしているわけではない。軽くすることは、軽率、軽薄、軽蔑などに通じてしまうためにむしろ嫌っている。

だから、思いつめていたり、悲嘆している方に対しては決して使用しない。それは、不謹慎という礼節的な部分もあるが、それ以上に「相手を傷つけないようにする」こと、そこをとても気をつけている。

たとえば、悲嘆している人に、

「わたしもとてもショックですぅ~」

「元気を出して頑張りましょう(笑)」

などと返すのは不謹慎を通り越してもはや暴力だろう。*1

 

自分の気持ちよりも相手の気持ちを慮る場面においては、文字や擬声語の使用は軽率どころか暴力にすらなり得るということを、老若男女かかわらず知っておくべきだろう。

しかしこれはテクニック的なものでなく、経験や心の良悪によるものなので、自分がそれをされて傷つかないかぎりは直らない。 

 

「いたみ(痛み/悼み)」を知らない人の発するもの記すものは、軽い。

 

*1:この例じゃわざとらしすぎて伝わらないかも。ほんとうは実際に目にした使用例を挙げたいが、本人特定のおそれがあるので使えない。もっと気軽に使われていてそれでも破壊力十分のものがたくさんある。