八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

「勝つ」と「克つ」を混同させないほうが良さげ

オリンピックという世界最高峰のゲームにて、そこに出場する選手は誰もが皆「勝ち」に行くことが基本ルールだと思う。もちろん中には「参加すること」に最大の意義を持つ選手(というよりも国)もあるが、少なくとも日本は「勝つ」ことを目的として(ケチい税金を使って)このゲームに参加している。

で、だ。選手のインタビューを観ていてすごく気になったのが「感謝」という言葉。競技前に「これまで支えてくれた方々に感謝の気持ちをもって臨みたい」というやつ。高梨沙羅選手が競技前にその言葉を言っていたと聞いて、すごく嫌な予感がした。結果は4位。

 

人として、お世話になった方々に感謝するのは、ごく当然のことと思う。立派だと思う。だけど、この世界最高峰のゲームに「勝つ」には、その感謝の念は心の奥に封印しておいたほうが良さげ。少なくとも競技前に言いだすのは非常にまずい。なぜならそれは清水宏保さん的にいうところの「逃げ」になるから。「勝つ」ことに集中しきれていない証。

 

角野友基選手の決勝後のインタビュー。「もっとこの競技を日本の人に認知してもらって競技人口を増やしたい」的なことを言っていた。すごく立派なことだと思う。だけれども、それは(オリンピックに参加する)現役の選手が口にすべきことなのだろうか?私はちょっと違う気がする。「俺様が金メダル獲ればそれに憧れて自ずと競技人口も増えるっしょ」的にジャイアニズムとしての発言だったら良い。でも今回の角野選手はそうじゃなくて出木杉くん発言に思えたので危惧している。現役生活晩年の為末大さんのような方向性は、「勝つ」ことを目的としたオリンピック選手としてはあまり宜しくない。

「自分の競技の追求=金メダルを目指す」という基本コンセプトから外れたところに意義を求める(求めすぎる)のであれば、オリンピックというレールからは降りた方がいいと思う。今回のオリンピック出場を辞退した國母選手はその点では非常に真摯なんだと思う。

 

 

スポーツには「克つ」ことを学ぶという意義もある。日々の鍛錬から己に克って勝利を目指すという、とても日本的な素晴らしい考え。でも、私としては、克つことを追求するとゲームに勝つことからは遠ざかる気がしてならない。まだ確信には至ってないが、そんな気がする。

「全力を出し切る」と言うと、昔でいうと松野明美さんや橋本聖子さん、今で言うと川内優輝選手のように、ゴール後にぶっ倒れることをイメージする方が多いと思う。でも、そういう選手は残念ながら1番にはなれない。ボルト選手のように「うひょひょひょー!」と走り抜ける選手のほうが強い。ってそれだとわかりづらいか。高橋尚子さんのように、ひょうひょうと笑顔でゴールするような選手が、オリンピックで勝つ選手。いつも苦悶の表情で「努力してます」アピールの選手は、己には克ててもゲームには勝てない。

 

今後、オリンピックのメダルを増やしたいのであれば、もっと「勝つ」ことに戦略的になるべき。努力とか根性とか勤勉さとか誠実さとか感謝とか克己とか、そういうものはあくまでも「土台」であるべきで、そこをいちいちクローズアップせずに当たり前のものとして、その上で「楽しい」を主軸としたわくわく感を以て勝ちを目指すべきであろう。

ちなみに「悔しさ」はトラウマになって負のスパイラルに陥る恐れがあるので、そんな感情は早く忘れたほうが勝ちに繋がると思います。