八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

絶望からどう生きていくか

もしかしたら私は、金メダルを獲る姿よりも、絶望に突き落とされてからをどう生き抜くのか、その姿を見たいのかもしれない。ちきりんさんのこのツイートは、そんなことを考えさせられる。

浅田選手に限らず、 銀メダルを獲得した選手たちにも同じだし、モーグルの上村選手に対しても同じ。「銀でも十分じゃないか」「4位でも立派」という言葉を投げかけられるだろうし、本人もその言葉を励みに納得するのだろうが、でも心のどこかでは絶えず悔しさの火種が燻り続けてしまう。特にこの日本は「負けたら悔しがれ」という国だから、その火種が鎮火しづらい。

反対に、金メダルが獲れたからといってその後が順風になるとは限らない。本人としては納得のいかない演技ながらも金メダルを獲得した羽生選手は “真の金メダリストにならねば” という十字架を背負わされた。また、長野五輪金メダリストの船木選手は、今も現役の選手でありながら各局のスタジオで解説をさせられて、そのこと自体も屈辱ながら更に「あんたは葛西選手よりも年下なんだから現役復帰して次のオリンピックも目指せば」と嘲笑される。出る杭は打たれる国だからか。

 

最近は「諦める」を題材にした本が流行っている。私はまだそれら本を読んではいないが、おそらくその内容はどれも、諦めるを「明らめる」とし、更には「明らかに極める」として新たな光明を見出しましょうとするものだろう。私も常々そう言い続けている。でもねえ、そう簡単なものではない。失ったものが大きい人、抱いていたものが大きい人ほど、簡単にはいかない。

「悔しさをバネに」って簡単に言うけれど、希望が粉々に砕け散ってしまった者には、もうバネにできる材料なんて残っていないんだよ。

それでも、生きていかねばならない。

人生のすべてを掛けて手に入れようとしていた目標が絶望的な状況になることって、誰にでも起こりうる。

誰にでも起こりうる、か。うん、きっとそうなんだろうね。そしてそこからどう生きていくか、日本人はまだ明確な正解を見出せずに模索中なんだろう。

 

今日のフリープログラム、誠意をもって見届けたいと思う。