八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

ガイドブック

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「ガイドブックをなぞるだけの旅は嫌」と母は言う。

言わんとしているそのニュアンスは分かる。が、でも旅って、多かれ少なかれ「確認作業」となることは否めないと思うんだ。そもそもその場所に来たいと思った「動機」となるものが必ずあるはずで、そこに「行きたい」と思わせた何かを、実際に自分の五感や六感で感じとって、そんでもって感動したりするのでしょ。

だから、べつにガイドブックを参考に旅するでも良いと思うんだ。おすすめに従って旅しても良いと思う。自分なりの感想を抱けば。てか、楽しければなんだっていいじゃん。旅に正解も不正解も、そんな区別はないんだから。*1

 

私は、いわゆる「ツアー」は好きではない。理由は単純で、ただたんに「団体行動が苦手」なだけ。だけれども、自分が苦手だからといって、ツアーを否定する気はない。その道のプロがしてくれる「ガイド」は、自分とは違う新たな視点をもたらせてくれるので、食わず嫌いで忌み嫌ってはもったいないと思う。でも私は極力、ツアーは使わない。なぜなら団体行動がものすごく苦手だから。*2

 

指針となる情報は欲しいけど、団体行動ができない。だから私は「ガイドブック」を活用します。今はインターネットが大活躍。最近スマホに買い換えたので、これでぐっと旅が楽になると思う。

私の場合は、ガイドブックをなぞって旅するのでなく、旅の途中や後でガイドブックで確認することが多い。今はガイドブックのないところに行くことが多いので、インターネットで確認してます。

 

友人からの「おすすめ」と、ガイドブックや口コミでの「おすすめ」と、なにか違いがあるのかい?価値観の相違は、親子だろうが夫婦だろうが見ず知らずの他人だろうが、その差違の大きさはそうそうは変わらないと思う。信じられる情報かどうかの違いだって?いやいや、そもそもおすすめの情報を「信じるか、信じないか」という時点で発想が間違ってるって。

私は「おいしい」という情報はあてにしない。思考から除外する。でも、「わたしはこれが好き」という情報は参考にする。その人のことをもっと理解しようとした時に、それが気遣いの参考になるから。一方、ガイドブックや口コミの人への理解は不必要だから、それを記したその人の個人的な情報(感情)は全く加味しない。欲しい情報だけを抜き取る。たとえば、清潔か不潔かとか、安全かどうかとか。美味い不味いなんて部分は読み飛ばす。

人の言うことを「信じる・信じない」だけで片づけるから、情報をうまく使いこなせないんだよ。そういう人がガイドブックや口コミの存在を否定するんだろうな。

極端な話、誰の言うことも信用してはいけないんだよ。

必要なのは、信用ではなく「理解」。

信用とは、理解がとことんまで深まったうえで初めて得られるものであるから、そこには嘘も真も関係ない。

 

ガイドブックやインターネットらの情報は、その土地のことを深く理解するためのツールなんだから、どういった使い方でもいいから、忌み嫌わず大いに活用すべきだと思う。

*1:自称「旅のプロ」が人さまの旅にケチつけて偉そうに自説を垂れ流しているのをみかけるが、そのほとんどは貧乏旅行自慢なだけなんだよね。金持ち喧嘩せずとはよくいったもんだ。

*2:ちなみに、自分のペースで団体を指揮することなら苦手ではないので、自らが主宰するツアーは、過去に何度かやりました。