「うるせい!ばかやろう!!」と言える強さ
題字だけ考えついて、さてどう書こうかと思案していたところ、弁天さんの記事をみてインスパイアされた。特に、
『火のよォォォーじィんーーーー!さっしゃアりゃょォォう!』
のくだりは、妙にツボってしまって、ことあるごとに脳内に現れては吹き出してしまう。「なんで急に火の用心!?」とつっこむほどに、そのシュールさが世の真理な気がして仕方がない。
変な解説をしてしまって、まったく野暮でっさっしゃアりゃょォォう!
…私の使い方は間違ってる気がする…むずかしい…
そう、この題字の「うるせい!ばかやろう!!」だが、思いついたのはさきの旅行中。いや、それよりも前だったかも。とにかく、いまの世の中の問題も自分自身のことも、
「うるせい!ばかやろう!!」の一言で片付けたかった。
イメージしたのは、むかしながらの下町のおやじ。そう、ビートたけしさんの父、北野菊次郎さんみたいな人が発する「うるせい!」。
決してインテリではないが、世の真理や人生観というものに対する感覚はとてもピュアで、その言動は我儘にもみえるが正しい。そういう人が発する「うるせい!」という言葉の強さに、私は憧れる。
原発の再稼働やいじめ問題など、妙な理屈をこねくり回して正当化しようとしている者がいる。彼らの言い回しに乗せられて、こっちもインテリぶらなくてはならないのか?
いや、それは違う気がする。
「うるせい!ばかやろう!!」
「嫌なものは嫌なんだよ!」「ダメなものはダメなんだよ!」
そんなシンプルな感情を、理屈だけで封じ込めてはいけない気がする。
左脳が発達した「〇〇大学卒」のエリート達のフィールドに乗せられては、相手の思うつぼじゃないの?なんでみんなそんなにお育ちがよろしいのかしらねえ?
そういえば「人を殺してはなんでいけないの?」ってのも、一時期に話題となったっけ。そんなもんに理屈なんて必要か?そんなことを聞いてくるバカには「うるせい!」の一言でげんこつをくらわすほうが、よっぽど健全じゃないのかな。
世の中ままならない。理不尽だらけ。だからそんな世の中に、
「うるせい!ばかやろう!!」
と啖呵を切って生きていく強さを
私は欲している。
立て続けに訪れた東南アジア。なんでそこに行こうとしたのか理由が漠然としていたが、理不尽な中でも逞しく生きている人たちというものを肌で感じたかったのかもしれない。
そう、日本のむかしの下町の雰囲気を求めに、菊次郎に会いに行ったのかもしれない。