「平和」について、ゆるく考える
今日は終戦記念日。だから「平和」について考えたい。
でも、重い記事は書きたくない。だからあえて、
「おっぱい!おっぱい!(AA略)」のノリで、真面目に書きたい。
先日、「新・東京いい店やれる店」という本が発売された。
新と書いてあるからには旧があって、最初のものは1994年に発行されている。
当時はまだ学生だったが、私はこの手の本が大好物で、というよりホイチョイさんがつくるものすべてが私には眩しくて、スピリッツ連載の「気まぐれコンセプト」はもちろん、テレビでは「カノッサの屈辱」や「上品ドライバー」等を、きゃっきゃしながら観ては、はやく大人になりたいと憧れていた。
こういったノリは、いまやバブル時代の負の遺産として、忌み嫌われてたりもする。
あそこであんなに浮かれていたから今日の没落を招いたんだ、と。
でもね、うまいもん食って、おっぱいのことばかり考えているほうが世の中は平和だということは、まぎれもない事実に思う。
もうちょっと上品に言い換えると、「家内安全」と「子孫繁栄」を願って安穏に暮らす、ということ。
ホイチョイさんは、こうした世の真理を、おバカなノリで発信してくれるから好き。
私も、ブログ記事をおバカなことばかりで埋め尽くしたい。が、もっと知的に、かつバカバカしいことを真剣に実践していないと、なかなかホイチョイさんのような記事は書けない。うーん、ものすごくハードルが高い。
オリンピックも、見方を変えれば、ひじょうにバカバカしいものだ。
水泳にしたって、あんな水槽の中を延々と泳ぐことに人生を賭けているなんて、滑稽だ。魚でもない人間が速く泳ぐことに何の意味があるのだろう。
でもその意味がないようなことを真剣におこなう。だから世の中は平和なのだ。
そしてその集合地であるオリンピックは、だから素晴らしいものだと称賛される。
これでいいのだ。
ん、おっぱいのノリじゃなく、バカボンのパパになってしまった。。。
でもいいや、話をまとめる。
人を傷つけることを、人を殺めることを、本気になってするなんて、間違っている。
人々がそういった思考へと暴走せぬように、グルメやスイーツやファッションに夢中になったり、2次元の世界にどっぷり浸かったり、愛しの〇〇さまに恋い焦がれたりするのは、とても平和的で素晴らしいことに思う。
こういった、一見くだらない、生産性がないものが世の中にあふれていることが、平和というものでしょう。堕落した現代を英霊が嘆くといった描写の物語があるが、みな殺伐として人のものを奪い合うことが当たり前の北斗の拳な世界よりは、よっぽどいいでしょ。
また再び、いらぬ緊張を強いて暮らさねばならない世の中よりも、バカ騒ぎしながらでも平和に暮らしている世界のほうが、ご先祖様もよろこんでくれている気がする。
だから1度きりの人生、真剣に生きるなら、人を憎み、傷つけることに力を注ぐよりも、おっぱい!おっぱい!(AA略)のノリを大切にして、私は生きていきたい。