可愛げ
ある本を読んで、そして昨晩のキュン死をうけて、「可愛げ」の大切さを実感している。
読んだのは「ニート」の本。
全体的には、ふむふむと読ませてもらった。だけども最初の数ページ目から、どこか「小骨」が刺さったような、なんだかわからない違和感を覚えながら読みすすめ、そしてその小骨はとうとう最後まで抜けなかった。
その小骨のせいで、著者の訴えたいことは、私の中には真摯に沁み込まなかった。
その小骨、うまく説明できないが、いまの心境でたとえるなら、「なんか、むかつくー」といったところだろうか。いや、むかつくほど大きな骨ではない。むかつくに満たない、小さな小さな骨が刺さっている。
「生理的にあわない」「考え方の根本がまるで違う」といった、そういった身も蓋もない、育ってきた環境が違うから~♪といった、セロリの唄みたいな問題だろうか?
そのこたえがさっき、なんとなくわかった。
「こいつ、かわいくねぇ」
それだ!可愛くないんだ。可愛げがないんだ。
むかつくとか、きもいとか、そこまで忌み嫌うものではないけれども、なんか、可愛げがない。これがエスカレートすると、「嫌い」のレベルになってしまうのだろう。
動物や昆虫。カワイイと愛でられるもの、キモイと嫌われるもの、それぞれ分かれる。
そしてその末路は、大きく変わる。
カワイイは、そおーっと遠くから見守られたり、一生のパートナーとして大事にされる。
キモイ(嫌い)は、スリッパで瞬殺される。
同じ生き物、同じ1つの命なのに。
でもそんなの関係ねえ。
カワイイは愛されて、キモイは淘汰される。
これが自然の摂理なんだ。
人間もきっと同じなんだろう。
可愛げがなくなると、とたんに障害が立ちはだかり、前進しづらくなる。
人は時に、後ろ指さされようが敵が増えようが憎まれようが、それでも前へと突き進まなければならない時がある。でも、そんな時にでも可愛げがあれば、必ず味方になってくれる人はいる。
これは、八方美人とは違う。表面的に媚を売ってもだめ。
「純粋」な心。それが可愛げの基本だ。
思い遣りも大切。相手の痛みが分かることも大切。でもまあ、思い遣りと労わりの心は人生経験が必要だから、若いうちは難しい。
でも、純粋な心は、経験の差ではない。
内面(心)の悪さは、自分でも知らず知らずのうちに、言葉やしぐさ、表情などから滲み出る。
「モテしぐさ」を会得するのもいいが、それよりもまず「心」を可愛くすべきだ。そうすれば好意的に思ってもらえる。少なくともムカつかれることはない。
自分が嫌われていることすら気がつかないほどオメデタイ人は別として、たいていの人は、「可愛げ」を大事にした方が、人生スムーズに運ぶだろう。
この先生きのこるためにも、自分自身のなかにある「カワイイ」をもっと大事にしよう。