本を読まないという選択
私は、あまり本を読まないタイプ。だから、夏休みの読書感想文はものすごく苦手だった。まずなにより本を読まねばならなかったから。
大人になってからは、それなりには本を読んでいる。現在の仕事を始めてからは特に読むようになった。そして、年々その量は増えている気がする。
でも、一般の人よりかは少ないかも。それは、私の読書に対するアプローチが人とは少し違うからに思う。
私にとっての読書は、新しい知識を得るためのものではない。自分の思考や方向性を「確認」するために読書をしている。だから、私の読書は基本的には「上から目線」。めちゃ偉そうにして読んでいる。なにさまー。
もちろん、読んでいて「目からうろこ」のことは多い。でもそれでも「やっぱオレさまの考えは正しかったぜ、へへ」としめくくる。どんだけー。
そんな自分だから、読むことよりも「手にとる」ことに、より時間をかける。そしてようやく手にとった本でも、気が向くまで積読する。最近は「つまみ読み」なる手法も覚えた。自分の読みたい章だけ読む方法。
基本的に私は「自分勝手」なのである。もとい、マイペース。
そしてちょっと、あまのじゃく。ちょとだけ。
だから、「勝ち組になるには、月に〇〇冊の読書をしましょう」なんていわれると反発したくなる。そんなに読みたい本なんかこの世にねえ、なんてね。
本当はたくさんの良書があると思うけども、その無数の偉人たちに私がついていけてないだけ。そしてそれを自覚するのがむかつくだけ。
前回の記事で「賢くなりましょう」とうながした。
たしかに、本を読むということは、賢くなるうえでかなりよいアプローチだと思う。でもだからこそ、あえて「先に答えあわせ」をしないことが、賢さを育むうえで大事に思う。
本にはおそらく「答え」が書いてある。
おそらくというのがミソ。その答えの真偽がなんとなくながらでもわかるまでは、その本を読まないという選択もアリだろう。
インプットすべき時期というか、縁というか、タイミングみたいなものを大切にして、流行りや世間の常識に乗せられず、マイペースで本と対峙しながら、賢さアップにつなげて下さい。
ニーチェや孔子にむかって、おっさん分かってんじゃん!と毒づくのも、おもしろい。
(追記)
上記の本には、小説など「フィクション」のジャンルは別です。
私も、ファンの作家さんのものは、新刊が出たらすぐに読んで楽しんでおりますです。