八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

遺品を処分する時期

前回記事では☆を付けづらいにもかかわらず誠にありがとうございました<(_ _)>

今回は明るめの記事を豆乳…じゃなくて投入…でもなくて、また重いのいきます♪

って、すでにタイトルでネタバレ。

 

では、

遺品について。残すか、処分するか。

意見が真っ二つに分かれる問題だと思います。

でも最終的には、いつかは処分せざるを得ないです。

なので、いつまで残すか、いつ処分するかで意見が分かれるというのが正確な質問。

 

で、私の個人的な意見としては、

残せるならギリギリまで処分せずにとっておけばと思います。

捨てるのはいつでもできるので。

もう処分するしか仕方ないという段階になってから、どうするか検討すればと思います。

 

ただ、そう思うのは、ある程度時間が経って冷静になったからです。当初の私は、持ち歩けるていどの数品だけ残して、あとは手放す気でいました。物だけ遺ってたって意味ないと、怒りにまかせて片っ端から処分しまくりたい衝動でした。また、誰かが使ってくれたら浮かばれるような気もして。

が、ものぐさ&断捨離下手な性格が幸いして今だほとんどの品を残してあります。いま思えば残しておいてほんと良かった。

 

なんで私はなるべく処分せずに残すことをおすすめするのか。それは、その物が「記憶の引き出し・記憶のスイッチ」だからです。

以前の記事で、私の記憶が不調であることを述べました。どうも、過去の記憶がうまく思いだせないんです。でも、彼女の遺した物を見ると、その時の情景が思い出せるんです。ああ、あの時に着ていたTシャツだな、あのアウトレットで買ってきた靴だ、あの時にプレゼントしたバッグだ等々、本人の表情や声までも再生されます。

私は妻のビデオ映像を1つも遺していなかったので、写真の中の動かない彼女しか映像が遺ってないんですね。なので、記憶のスイッチまで失ってしまうと、もう永遠に彼女の声などが脳内で再生されなくなってしまうんです。古い携帯に唯一遺されていた彼女の肉声を見つけるまでの1年間は、彼女の声をうまく再生できずにとても苦しみました。どうでもいい二度とみたくないような者らの顔や声はなんだか知らんがすぐ出てくるのに、肝心の妻の声や顔がいっこうに出てきやしないと嘆きました。

 

今は声も発見したし、片づけをするたびに懐かしい想いがよみがえってきてずいぶんと救われてます。先日のバレンタインでは、チョコは食べれずとも、あの紫の箱さえあれば毎年幸せがよみがえりますので、捨てずにとっておいて良かったです。

 

 

ただこれらはあくまで、過去を忘れたくない人にとっての話です。

過去をリセットして、新たな未来を一から作っていきたい人にとっては、未練が深まる前になるべく早く処分するべきでしょう。

あるブロガーの方で私らと類似点が非常に多い方がいて、その方は半年ほど前に奥さまを亡くされました。で、どうやらここのところで結婚指輪や婚約指輪を処分されたそうです。あれれ、再婚の方向に舵をきったのかい?私がロムってるかぎり、具体的に新しい相手がいる雰囲気ではなく、いまだ悲しみの底にいらっしゃる様子ですが、指輪を処分したという記事をみて、ご本人はまだ無意識でしょうが近い将来に新しい家庭をつくっていくんだろうなと思いました。勝手に自分に似てると思っていましたが、人それぞれですね。世間的には「まだ若いんだし子供をつくって両親に孫の顔をみせてあげる」ことが良しとされるのでしょうから、そういう流れに乗りたい方は、遺品の処分は早い方が良いのでしょうね。

 

 

遺族が複数いて、それぞれ立場が違う場合。妻、長男、長女、次男などなど、いわゆる一般的な相続の場合ですが、これは、うーん、私には難問ですね。私の妻の場合は他に身寄りがいないので私ひとりが全権を掌握できましたが、相続をシェアする一般的なケースは、まだ未経験なので、まったく分からない。。。

レアケースを先に経験しちゃったから、一般的なケースを一般的に捉えられなくなってるのか。それともやはり、傍からは一般的でも、みんなそれぞれなのか。

きっと、みんなそれぞれなんですよね。

 

 

流されない方がいい。自分の意思で決断する。

人が死ぬという当たり前のこと、その人の物が遺るという当たり前のこと

を、当たり前に考えない方がいい。あらためてそう思う。

遺品を処分する時期?

それぞれ好きにしたらいいと思う。

 

長々と書いて、なんて身も蓋もない結論!