過剰な正義
例えば道路の速度制限、安全という建前で実用よりもずいぶんと低く設定されている個所が多いが、それを意図的に利用してスピード違反の取り締まりをする。
例えば税金、節税(見解の相違)を脱税かのようにマスコミにリークする。
例えば可燃のゴミ出し、ごみ収集する側はペットボトルが混入してても回収しているのに、他人のゴミ袋をあさってまでして分別ルールを徹底させようとする。
等々。
あなたたちは正しい。でも私の正しさとは違う。
そもそもルールは、人々が暮らしやすくするためにあるもの。なのにいつの間にか「正義」を押しつけて従わせるものとなってしまう。また日本人は、時代にそぐわない理不尽なルールでも、それに従うことが美徳とされる。インターネットの普及で巷には正義が溢れかえっている。そんな空気に耐えかねた者がある日突然に炎上案件をぶっこんで自爆する。とかくこの世は住みにくいby漱石。
私は、正義感はわりと強い方だと自覚している。でも、それを他人に振りかざすのは苦手。斉藤さんにはなれないタイプ。でもそれで正解だとも思う。斉藤さんモードなんて、一生のうちで数回程度で十分だろう。じゃないと自分で自分の首を絞めてしまう。
正義が常に正しいわけではない。
うちの近所で、喫煙所と化しているところがある。そこはただの道路で、吸殻は側溝に捨てられる。側溝は灰皿ではない。タバコを吸わない私にとっては、その行為は許しがたく、とっても不快。最初のうちは激おこだった。けれども最近は諦観している。
タバコをポイ捨てするのはたしかに悪だろうが、でもそれはさほど大きな悪ではない。それを止めさせることは容易だろうが、でもそれが原因で大きな事件に発展してしまうおそれは多分にある。これから満員電車にゆられて戦場へと赴く企業戦士にとって唯一の楽しみだったその喫煙を邪魔されたことによるストレスの行方が私はこわい。
それでも、自分がそこを掃除する立場だったら、自分の都合のみできつく注意してしまうだろう。上記の例のような「役割」を与えられたら、同じようなことをしてしまうだろう。「これが仕事なんで。てへぺろ。」とか言いながら。
どいつもこいつも自分勝手だよね。もちろん私も。
正義も自分勝手も、ほどほどの「好い加減」だとうまくいくんだろうな。お釈迦様の言う通りに「中道」にしとけば間違いない。正義と正義がぶつかって、勝手と勝手がぶつかって、その結果に中道が生まれる。
行き過ぎれば叩かれる。叩かれたくなければ最初から中道で行くしかない。
または、叩かれても平気な強さを身につける。反省はしても後悔はしないメンタルの強さを身につける。賢く立ち回るか、タフになるかの、どちらか。
そんなこんな書いていたら、役所に火を放つ事件が起きた。
窮鼠、猫を噛む。
もうこの国はネットで炎上とかのレベルじゃないくらいに深刻な事態となっているのか。いたって暴動が起きにくい国ではあるが、もうコップの水は溢れる寸前なのかもしれない。錦の御旗を振りかざしながら「仕事だから」「規則だから」って言い草は通用しなくなりつつある。けつの毛までむしり取られて自ら首をくくるよりは一矢報いてやるって輩が出てくるのは当然の成り行きで、これからしばらく正義と正義のぶつかり合いが続くのだろう。
中道に落ち着くのは、いつのことやら。