八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

暴発されるよりは舌打ちのほうがマシ

新幹線の中で子供(赤ちゃん?)が泣いていただか騒いでいただかで「舌打ち」した大人への是非の件。私も堀江氏と同じく「舌打ちくらいいんじゃね?」って意見です。

というのも、泣く子供に寛容にあらねばならないならば、舌打ちする大人にも寛容であるべきに思うからです。そしてその理由は「ガス抜き」のためです。

 

以前に、機内で泣く赤子に激怒して大騒ぎしたマンガ家がいましたが、あれ、へたしたら逮捕もんのことですよ。機長が途中で引き返す(あるいは別の空港に降りる)ことになった可能性も大きかったでしょう。

件の新幹線、舌打ちでなく正論を親御さんにぶつけてたら、はたしてどうなっていたでしょう?穏便に済んで大団円となりますかね?その反対に壮絶な修羅場となることも十分にあったと思います。

 

泣く赤ちゃんに理由があるように、舌打ちした人にもそれなりの理由があるのでしょう。分別ある大人でも、その時の置かれている状況によっては礼儀正しくできないことは、誰しもがあるでしょう。我慢できればいいですよ。けれども我慢にも限界があります。そしてその限界値のハードルは、低すぎる(すぐキレる)のもまずいですが、高すぎる(我慢強い)のも同様にまずいでしょう。だから「舌打ちくらい許してやれ」って意見が出るんだと思います。ようはそれ以上の惨事を避ける為の妥協案です。赤子の泣き声や舌打ち以上の怒号を見聞きしたり、目的地にスムーズに着かなくなるよりは、まだマシだと思うんですがね。

 

また、その場では注意せずにあとになってインターネットでつぶやく(チクる)のも、ある意味でリスクをおさえた(その場での迷惑を拡大しない)賢い方法に思えます。その方がその場でなんでも解決する外国方式よりも、日本人の気質には合ってる気がします。海外に行くと周囲の迷惑を無視してぎゃーぎゃー言い争ってる姿をよく目にしますが、それを是とするのはどうなんでしょう。かといってなんでもかんでも「我慢」を強要するのもいかがなものかと。文化や気質が違くとも同じ人間ですからねえ。たまには周囲の迷惑も顧みずぎゃーぎゃー喚き散らしたくなって普通に思います。日本人はせっかく我慢強いんですから、そこまで追いつめ過ぎずうまくガス抜きさせることが必要に思います。

 

ただでさえ今の日本は、いろんなところで暴発が起きています。毎日殺人事件が起きるのもそうですが、毎日80人以上の自殺者がいるんですよ。これは明らかな「ガス抜き」不足でしょう。

私は、タバコのポイ捨てをする大人に対して注意はしません。あとでブログには書いても、その場で注意はしません。理由はいくつかありますが、その注意された人がその後に「なにをしでかすか」に責任が持てないからです。そのことがきっかけで自殺するかもしれないし、力の弱い女性や子供に暴力を振るうかもしれません。もちろん自分の保身もあります。過ぎた正義は悪と変わりませんからね。だからタバコのポイ捨て程度ならば注意はしません。あ、山の中とか火事が懸念される場合は別ですよ。

 

この件で私が言いたいのは「バランス」であり「どちらが得か」ということです。

泣く子に寛容であれという正論に対して、舌打ちは許すという妥協案を提示してあげた方がバランスがいいように思います。また舌打ちを許さぬ風潮の方がより息苦しく思えて損な気がしました。

この世から舌打ちを根絶させたい!と怒な人は、舌打ちしている人を見つけるたびに目の前で「舌打ち返し」してあげてください。

 

《追記》

私が「舌打ちくらい許したれ」というのは、あくまでも当人には気づかせない舌打ちで、それを第三者は見逃してやれということです。面と向かって舌打ちする奴とは、ドンフライ VS 高山善廣ばりのどつき合いを許可します。