Are you happy?
「Are you happy?」
2度目、かな、そう訊かれたのは。1度目は昨年、バミューダで。
スーパーまで徒歩で買い物に行き、帰りに埠頭のベンチで座っていた時に声をかけられた。寂しそうに見えたのだろうか? 2度目は昨日。カナリアでの最後の夜に、ホテルのラウンジで「さあたくさん飲み食いしたろ」とワインに口をつけた時だった。1度目の時も海を見ながらサンドイッチを食おうとスーパーの袋に手をつっこんだ時だった。いずれも興をそがれて食べる気をなくした。
1度目のそれは、エホバだった。インターネットのアドレスを書いている(むりくり書かれている)の図。
でもわたくし、多神教のほうが好きなんですよねえ。
昨日のそれも、おそらくは宗教がらみのことだろう。おばあちゃんが突然に握手を求め、話しかけてきた。なんか一生懸命に喋ってるが(ゆっくり丁寧な英語で)、幸い(?)なことに、私には何を言ってるのかさっぱり分からない。日本語でも突然話しかけられて相手の意図が読めないと何度も聴き直してしまうくらいだから、それが英語なら尚のことで、このおばあちゃんは俺に何を求めているのかさっぱり分からない。で、アーユーハッピー?だけ、分かった。もちろんアイアムハッピー!と答えたさ。そこでああ、宗教がらみかなと気がついた。おばあちゃんゆえバミューダの人のような押しの強さはなかったので結局は何だったのかは分からずじまいだが、まあ間違いなく布教活動だろう。それも一神教の。
日本でも異国の地でも、話しかけられること自体は嬉しいさ。でもそれが、ネギしょったカモだと思われたんだったら気分が悪い。
言葉の壁があって助かった。
もしこれが日本語だったら、または私が英語ぺらぺらだったら、おだやかではいられなかっただろう。私が日本を窮屈に思い、海外での暮らしに憧れることの1つに、言葉の壁による防御がある。こういう時につくづく英語が苦手で良かったって思う。
それにしても、妻が生きてた時には、ひとり旅してても「Are you happy?」だなんてそんな声かけは1度もされたことはなかったのに、やっぱ誰の目からもアンハッピーにみえるのかな?
「Are you happy?」と訊かれて、本当は
「NOOOOOOOO!」と答えてやりたい。
でもめんどくさいのでイエスと答える。
「人は幸せになる義務がある」
みたいなことをアランが「幸福論」で述べてるそうだが、いつか読んでその真意を確かめてみよう。そういえば、たしか買ってあって、どこかに積読してある気がする…。
一人旅では、コンドミニアムで自炊するのが好き。キッチンのないホテルだったら、スーパーで弁当や総菜を買ってきて、部屋で食べるのが好き。
スペインは、外食文化が発達しているせいなのか、スーパーに弁当や総菜は売ってなくて、サンドイッチくらいしかない。あとは、ハムやチーズとか。それをアテにカナリア産のワインを飲もうかと思ったが、ワインオープナーがなくて、しかたなくオレンジジュースでひとり乾杯した。
夜の8時になると下から生歌が聴こえてくる。それを聴きながらラナイでハム食ってるのも、なかなかいいものだよ。客いじりのマトにされる心配もないし、どんなにだらしない格好をしてても周囲には見られないし。遠くに大西洋を眺めながらの特等席では、カップラーメンでさえとびきりのごちそうになるのさ。
日本のコンビニ弁当だって「海外でパンばっか食べてたからコンビニ弁当のご飯でもけっこう美味しいわね」って言ったら相当のイヤミだろうよ。さっき早速食べたが、でもほんと、けっこう美味しいんだよね、これが。
なんの話かわからなくなってきた。
そうそう、ハッピーかって?
ああ、イエス、イエス。