悔いの火種
昼のワイドショーで、松田選手と久世コーチのインタビューを観た。
お互いに相手のことを思い遣りながらインタビューに受け答えてる。
“コーチのために” “丈志のために” 是が非でも金メダルが欲しかった。でも、“獲れなかった” “獲らせてあげれなかった”。その無念を口に出したら相手をいっそう傷つけてしまいそうで、お互いにその想いを押し殺しながら、ただただ「感謝」を口にしていた。
二人の想いに触れたからか、私の中で封印していた「悔い」の火種がまた燻ぶっている。
金メダリストはただひとり。松田選手だけでなく、そこの舞台に立てなかった者も含め、200メートルバタフライだけでも無数の悔いが存在する。
全人類、存命の者だけでなくかつて存命だった者も含めると、天文学的数字の悔い。
まったく悔いなく人生を終える人なんて、果たしてこれまでに存在したのだろうか?
以前にこんな記事を書いたが、うーん、むずかしい。
「あきらめる→明らかに極める」って、やっぱむずかしい。
そんなこんな思いながらロイホでランチ。溢れだしそうになる涙を堪えるために、ココアをがぶ飲みしてやった。
グイっとココアを飲み干した時に、ふと「ざまぁ~みろ!」という言葉が浮かんだ。
最近教えていただいたこの言霊。うまく説明できないが、なんかいい!
悔いの燻ぶりが弱まったというか、光明というか、なんか心地よいぞ!!
その後、コンビニで「ざまぁ~みろ!」と言いながら買い物してたら、かごいっぱいになってしまった。…危険だ。とっても危険。。。
さてと、オリンピック観るかな。じゃなくて、お仕事しよ。