八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

「お前が言うな!」を大事にしてる

前にも同じようなこと書いたような書いてないような。まあいいや、始めます。

私は、たとえどんなに正論だとしても、相手に対して「お前が言うな!」と思ってしまうと、その正論(相手のこと)を認めないところがあります。言ってることはごもっともだが、お前が言うな!の一言で終了。

炎上する話題。その発言主の素性が分からない時には、発言の一部を認めたり、少数派側につくこともあるのですが、「なんでこんなこと言うんだろ?」を突き詰めていって素性が分かると、そこからは理屈をこねくり回さず素直に肯定なり否定なりします。この素直な部分は「感情」の部分です。肯定の場合は「気持ちはわかる」となり、否定の場合は「お前が言うな」となります。

 

幼少期から、大人の反吐が出る正論(自論)をたくさん聞き過ぎたせいもあるのかな。上っ面だけの自論、自分のことを棚にあげての正論を、多く聞き過ぎたのかも。だから私は殊更にお前が言うなを大事にしている気がします。

言葉のロジックだかマジックだかに惑わされないように、自分を保っていたのかも。

 

だから私には口先だけの正論は通じません。うっせばーか!で終了です。非常に稚拙な返答ですが、自分を見失わない方法としてはかなり秀逸な気がします。

 

言霊って、一字一句が同じでも、どんな人から発せられたかで、その性質はまったく異なります。ということを書くと、じゃあその言霊とやらを証明してみせろよってなるんでしょうね。

知るかぼけ。

 

…まずいですね。これじゃあ私の仕事は成り立ちません。でも、なんでもかんでも証明しろって言われても「だってそうなんだもん」としか答えられない。えなりかずき口調で。

 

で、なにが言いたいん?

うまく説明できない部分を大事にしたいということを言いたいんだな、きっと。

なにをもって「お前が言うな」となるかは、うまく説明できるものではない。決まったパターンがあるにせよ、その方程式は潜在意識の奥深くだから簡素に見出せるものでも論理的に説明できるものでもない。

私はそんな、あいまいな部分を大事にしている。自分の「直感」をあてにしている。

ソースは俺、みたいな部分を大事にしている。好き嫌いの部分を大事にしている。

もちろん、最低限の礼節を併せもって。