八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

遠慮は失礼になりますよ(特に若い人たちに向けて)

「遠慮」という行為。これは往々にして失礼にあたります。

 

遠慮する場面というのは、何か品物をいただいたり、食事などに誘われたりする時と思います。しかも相手は目上の方の場合が多いでしょう。

そういう場合、(出来る限り)断ってはいけません。もし断るなら、その人との関係が切れてもしかたないと思って下さい。※1

 

これは、時代が経って今の若い人が上長になっても変わらないと思います。

それはなぜかというと、声をかけた人は、「せっかく誘ってやったのに」「せっかく奢ってやろうと思ったのに」などなど、「せっかく」という言葉がつくためです。つまり、「相手の好意をふいにする」という状況が発生するからです。特に「年齢」「収入」など相手と自分との格差がある場合にそれが顕著です。※2

尚、相手のことが嫌いだったり、犯罪のにおいがするなど、自分にとってデメリットしかない誘いを断るのは当然ですので、相手のこと(素性)をある程度理解していて、少なからず好意的であることを前提として話を進めます。

 

おじさん(おばさん)は、若者の気持ちがいまいち分かりません。世代の格差は常に起こります。だからとりあえず「物」「酒・飯」とかでお互いの距離を縮めようと図ります。若者よりもおじさんの方が往々にして裕福ですので。

そこでいきなり「いえ結構です」となると、おじさんは相当なダメージを受けます。「あ、嫌われた」と思ってしまいます。そして人によっては「もう2度と誘わない」などと逆ギレします。

若者にとってはめんどくさい大人でしょうが、目上の者からしてもめんどくさい若者と思ってしまいます。

 

さらにややこしいのが、どうも最近の若者は好意的に気を使って「遠慮」しているようにもみられる点です。まったくもってわけわかりません。

いくら貧乏な大人でも、「見栄」をはって誘っている(何かをあげる)のだから、そこで遠慮されるとバカにされたとすら思います。

 

「上手に甘える(相手の好意を無にしない)」というのは、昔は社会に出たら誰でもできたことなのでしょうが、「飲みニケーション」の文化が崩壊したせいでしょうか。

大学の「体育会」だったらまだその伝統が残っていると思いますが、どうなんでしょう?今の学生の状況は分かりませんが、私らの頃は先輩の誘い(好意)は素直に甘えるのが当然でした。そして先輩は、後輩には一銭もお金を使わせずに全部自分が払います。社会に出る前に、そうして上下関係での円滑なコミュニケーション方法を学びました。

 

現代の場合、社会が複雑化しましたので、とりあえず遠慮しとけば無難となったのでしょうか?たしかに政治家とかだと賄賂と思われますので好意をそのままは受け取れませんが、そうじゃない一般市民は、相手の好意は遠慮せずに受けましょうよ。

そして今度は自分がお返しすればいいのですから。それがコミュニケーションと思います。お金がない若者でしたら、笑顔で「ありがとうございます!」だけでもいいです。後日にちゃんと「お礼状」が出せたらなおよろしいです。

 

「上手に甘える」という技術は、この世を生き抜くうえでは必要な処世術です。

ある程度の年齢になれば、上長が減って若者が増えるために「自分が甘える」ということが叶わなくなります。

そして、甘え方が分からない者は、「正しく甘やかす」ことが分かりません。

それがひいてはずうずうしい者をのさばらす結果となります(甘やかして良い場合とダメな場合がわからずに、結果的に正直者がばかをみるという構図)。

ここまでいくと、もう個人レベルの問題でなく、社会問題であるともいえましょう。

 

なので皆さん、たいていの場合、相手の好意は

「遠慮せず」

 に、そしてその後に

「お礼」「お返し」

をちゃんとして、円滑なコミュニケーションを図りましょう。

その損得はすぐには見出せなくても、いずれ必ず役に立ちます。

 

 

※1 ネットでいろいろと調べていくと、「発達障害」の方が往々にしてその傾向にあるとでてきます。が、私はそれは違うと思います。むしろ、そのような障害を自覚されている方はどうにかコミュニケーションを図ろうと努力されてる気がします。

「誘いを断る」というのはほとんどの場合、ただ単に「ウザい」「めんどくさい」からでしょう。その気持ちは20年前に若者だった自分も分かります。ただ、昔は今みたいに社会の多様性が少なかった分「ゴマすり」のメリットが分かりやすかったです。だから誘いを断る人はおりませんでした。でも今はその「損得」が分かりにくく、なおかつ「空気を読む」ことを昔よりも強く求められるゆえに、互いのコミュニケーション法則(マニュアル)がぐちゃぐちゃになって複雑化してしまったのが原因でしょう。それを発達障害の一言で片づけるのは大人の身勝手な都合、マイノリィティへの責任転嫁と思います。

 

※2 その「せっかく」というお節介がウザいんだよ!となるのも分かります。

が、この世の中、敵はなるべく少なく、味方はできる限り多い方が「生きていきやすい」です。昔よりも確実に生きにくい日本(世の中)です。「損して得とれ」というつもりで甘んじて好意を受けましょう。

ん?飯おごってもらったり、物いただいたりするのが損か?!たしかに「タダほど怖いものはない」という言葉があるが、通常はそこまで深く考える必要はないと思います。