八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

掃除と開運の関係性

わけあってまた家の中の一部を改装することになり、先ほどその下見に業者さんが来た。改装の下見ゆえ、ぎゃーそんなとこまで見ないでー!その扉は開けちゃだめー!っとなるので、昨晩から大掃除に追われていた。その甲斐あってか、とりあえず無事に下見を終えた。

普段から散らかさずにいたら、またもっと前から片づけはじめていたら、徹夜作業せずにすんだのに。そして、楽しいお食事会の誘いを断らずに済んだのに、朝まで飲み歩くこともできたのに…。

昨日は「チャンスを逃す」というのはこういうことなんだと、思い知らされた。

そしてその敗因が「家の中が散らかっている」からというくだらない理由で。

 

昨晩、さてこれから大掃除せねばという時に、メールをいただいた。内容はお食事のお誘い。しかもそれは、当ブログを読んで(ここ最近の病んでるぶりをみて)私のことを元気づけてくれようとするものだった。その心遣いに感涙ものだったが、目の前の汚部屋をどうにかしないとならず、泣く泣く断りのメールを送った。もうほんと、がっくりorz…。

他に先約があったとか、仕事が忙しい(=お金がっぽがっぽ)ならまだしも、お誘いを断る理由が掃除って、なにそれ。もうほんと、がっかりすぎる。真夜中に便所掃除しながら、日ごろからまめに掃除しておけば今頃はこんな楽しいことになってたかもと、悔しくて悔しくてブラシが折れるくらいの勢いでゴシゴシしてしまった。はあ。。。

 

立場上、お客様には掃除の大切さを説いていたが、その信憑性についての考察は怠っていた。てか、人には偉そうに言うが、自分自身は掃除が苦手、散らかすのが得意。「埃じゃ死なねえ」という名言のもとに育ってきた。

しかし昨日は、部屋が汚いせいでせっかくの好意を、せっかくのチャンスを逃した。心が病んでーるの私にとって、昨日のお誘いは元気を取り戻す大きなチャンスだった。それをたかが掃除ごときの理由で断らなければならないなんて…ちくしょうめー!

 

以前に、他人からの好意は素直に受けましょう的な文を書いたが、こういうチャンスって、そう多くは訪れない。特に病んでーるな人間を誘ってくれる人なんて、ものすんごく貴重。孤独のスパイラルから抜け出すのって、自分ひとりではできないんだから、そんなチャンスが訪れたならば何よりも最優先しなければならない。それくらい貴重なこと。

それに、もしいつも部屋がキレイならば、急な来客でも問題なく受け入れられる。これって当たり前のことかもしれないが、その当たり前が汚部屋住人にはできない。

幸運って、けっきょくは人が運んでくる。良縁が運んでくる。他人を招けないような部屋に住んでるってことは、自ら幸運をシャットアウトしていることと同じこと。

そのことを昨日は痛感した。

 

 

2年前から人の出入りがめっきり途絶えたこの家ですが、ちゃんと片づけが済んだら、あの時の活気に少しでも近づくことを期待している。