八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

気が気を呼ぶ

《2006年の記事を少し編集して再掲載》

車を運転していると、前に路駐の車、反対車線には対向車。なぜかすれ違いたくない狭い所ですれ違ってしまう。
スポーツクラブのロッカールーム。部屋はガラガラなのに、なぜか自分の周りだけ混み合っている。
学校の給食がカレーライスで、その晩の食事もカレーライスだった。等々。
これらは皆、「偶然」という言葉で済まされておりますが、果たして本当にそれだけなのでしょうか。

 

皆さんは、友人や知人の噂をした時に、その方から電話やメールがきたなんて経験はないでしょうか?
このような事が起きれば、たまたま偶然というよりは、何かしらの作用が働いたと思うことでしょう。そして、「噂」という行為をした事に何か関連していると。
これらの事を私どもの間では、「気が気を呼ぶ」と言っております。

 

皆さんが発している気は、磁石の様に互いに引き寄せあったり反発したりしています。
我々は「気が合う、気が合わない」という言葉を日常から使っておりますので、これら気の作用は自然と理解出来るのではないでしょうか。

 

噂をいたしますと、その気は相手のもとに飛んで行き、そして連絡をして来る。もしくは、相手があなたの所へ連絡しようと思い、その気がこちらに飛んできて噂してしまう、といった具合に、気(思念)はその距離に拘わらずに相手のもとに飛んで行きます。

“くしゃみをすると誰かが噂している”なんて言いますが、こういう時は、その時に思い浮かんだ相手があなたに気を送っていると思って間違いないでしょう。

 

ただ、最初に出した例題の様に、望まないのに引き付け合う場合は何なのでしょうか?
カレーライスの例は、「カレーライス」という気のみが相手に伝わってしまい、その気に触発されてしまったのでしょう。つまり、「いる/いらない」は伝わらずにカレーライスというキーワードだけ伝わってしまう。

道路のすれ違いや混雑するロッカーは、互いに無意識に発している気が、あるポイント(場所や物など)を通じて引き寄せ合った状態でしょう。磁石で例えると、お互いは同極同士(SとS)だが、ポイントが異極(N)なので重なってしまう、といったかんじかな。
こうしたいわゆる「間が悪い」状態に遭遇すると、チッと舌打ちしたくなりますが、イライラするよりは「気があったんだな、ふふふ」とほくそ笑むくらいのほうが建設的です。

 

人は、何かしらそれらの事が「気になる」と、好き嫌いに拘わらず「気のやりとり」をしています。
以前にテレビで、「相手に嫌われるよりも無関心の方が深刻だ」という事を言ってた方がおりました。これは、「気のやりとり」がない事を表した的確な言葉で、タレントさんだけでなく、この無関心というのは誰にとっても良い事ではありません。何事に於いても先ずは「気にする」という事が大切で、何でもそこからが始まりです。

 

何らかの偶然が起きた時、その意味するものは何かを考えてみて下さい。そして、その偶然が必然に変わった時に、未来を示唆するキーワードが現れます。良い偶然を呼び込む為には、先ず自らが周囲に良い気をたくさん発する事が大切です。そうすれば、自ずとチャンスは訪れるでしょう。

 

皆様も、祐気を持って祐気を呼び寄せて下さい。