八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

「心配してます」と相手に伝えるのはやめておいた方がよい

「心配」という気配り。多くの日本人は、これを美徳や善行と考えていると思います。

でも、それをそのまま言葉で「心配してます」と相手に伝えるのは、マイナスの作用が大きいということを知ってもらいたい。

 

多くの方は「はあ?」と思うでしょう。心配のなにがいけないの?って。

こちらが「心配されるのもつらい」といったら、まあなんだか分からないけどそれ以上は言葉をのむと思いますが、こちらが「心配は迷惑」といったら、ほとんどの人は「心配してやってんのに!」と憤ることでしょう。

そう、「心配」という気のなかには、相手の都合よりも自分の都合が強く潜んでいるのです。善意は、相手がそう受け取ってはじめて成立します。心配もしかり、一方的な善意の押し売りは、相手に迷惑をかけてしまうことが多いです。

 

ところで「心配」って、果たしてなにを心配しているのでしょう?

妻(八祐会代表)が闘病中、多くの「心配してます」を頂戴しました。でもそれって、妻に万が一のことがあったら「この先だれを頼ればいいの?」って心配だったのではないのでしょうか。

「いや、それは断じてちがう!」と皆さんいうでしょうが、じゃああらためて、当時

「なにを心配していたのですか?」と問いたい。

行きつく先、結局は「自分の心配」なんじゃないでしょうか。※

私も同じです。

妻が死んじゃったら私が困るから、妻の病状を心配し、そしてその感情を打ち消しながら看病しておりました。

病人は、偽善の「心配」を敏感に察知してしまいます。醜い心の部分を見透かしてしまいます。そしてそれは、病人の気力を消耗させます。

病人に「心配してます」というのは絶対にタブーです。

 

もっとライトな「心配」についてはどうでしょう。

気持ちが落ち込んでいる人に「早く元気になって!」と励ますみたいな、軽めの心配。

口では心配してるといわずとも、「あなたのことが心配です」という気持ちを込めながら励ましているのではないでしょうか。これならOK?

いや、やっぱりNGでしょうね。

「(あなたが落ち込んでいると私が心配をしてしまうから)早く元気になって!」といったカッコ書きをつけると、激励に込められた偽善がみえてきます。

おそらく日本人は、弱っている人や苦しんでいる人を「拒絶」する心理があるのだと思います。いわゆる「縁起悪い」ってやつ。だから過剰に「がんばって」や「元気になって」と言ってしまうのではないでしょうか。

「早く元気になって」といわれるのは、本人にとってかなりのプレッシャーですし、余計なお世話です。でも善意なだけにむげにはできない。だから「心配かけない」よう偽ります。大丈夫じゃないのに「大丈夫だよ」と言ってしまいます。

だいたい「早く」ってなんだよって話。私はそんなに長く待ちたくないから「早く」って急かしてるのか?いつまでも不元気じゃ縁起悪いってことか?やっぱり偽善だよそれ。

 

「SOS」って、発するほうも受けるほうも、むずかしい。

いまの時代、「お金」があれば、たいていのSOSが解決します。ゆえに、SOSを発するほうは「金をくれ!とりあえず3億円ほど」と言いやすい世の中なら楽です。

一方、SOSを受ける側は「困ったことがあったら何でも力になるよ。但しお金以外で」の人がほとんどでしょう。

「同情するなら金をくれ!」は名言です。

「心配してます」というタダの言葉は、相手に何1つ有益をもたらしていない自己満足だと自覚したほうがよい。

 

心からの善行ならば、ちゃんと相手に伝わります。もちろんお金でなくとも、気持ちだけでも十分にありがたいです。ちゃんと心からの励ましならば、ちゃんと相手に伝わります。ただ見守ってくれてるだけで十分です。※2

だからこそ、偽善の心配もそのままストレートに伝わってしまいます。

心配は、焦りや不安しか与えません。「信用されていない」と卑下してしまいます。

本当に相手のことを想うならば、心配せずに信じて見守ってあげてください。気長に。

 

※その核心をついてしまったから退会者が相次いだのか?! 戦略ミスった・・・。

※2「同情より金くれ!」って話と矛盾しているようにみえますが、本来は愛情があればお金はさほどいりません。偽善が蔓延している世の中なので、だったら「お金」の方がありがたいという話。

私の場合、皆さまがこのブログを読んでくださるだけで十分です。本日も誠にありがとうございます!