八雲の国から末広がり

旧八祐会ブログ

縁について

良い『縁』を持ちたいのであれば、祐気採りをするほかありません。よく、“小指と小指の赤い糸”などと申しますが、これは何も一本だけではありませんし、また全部が良い縁というわけでもございません。祐気採りを重ねていくと、ご自分の周囲の状況に変化が生じるのを感じられると思います。これは、気のレベルが上がるとリンクする相手も変わってくるという事で、その時の「気」の状況にあった方々とご縁を持つものです。なので、知り合う方、去っていく方、これは偶然ではなく必然であり、それらは永遠ではないのです。

「去る者追わず」 私どもがよく申す言葉で、これは夫婦間でも言える事です。昔の気学では、※「既婚者は○○方位へは祐気でも行ってはいけない」というのがありました。時代背景からいって仕方のない事だったのでしょうが、現代では状況が違います。祐気採りを重ねた結果に別れがくるのであれば、それはむしろ歓迎すべき事なのです。
まあ、だからといって離婚を推奨しているわけではありませんが…。

 

上記は2006年にホームページにて書いた記事。こわいもの知らずというか、なんの苦労も知らないというか、とにかく気持ちがイケイケで苦労の経験値が今よりも低かった時のもの。まあ、内容はごもっともなんだけれどもね、こわいもの知らずの自分の言葉がなんだか胸に突き刺さる。

ということで、あれから月日が流れましたので、上記内容に注釈をつけるかんじで2012年バージョンに改編したいと思います。

先ず、ここでいう「縁」とは、夫婦や恋人とかといった男女の縁のみならず、あらゆる縁をいいます。で、小指の赤い糸も男女間のみならずたくさんある、みたいです。

赤い糸の有無はさておき、自分の気のレベルが変化すると縁が変わるというのは本当のこと。それが祐気採りの効果です。だから祐気採りをすると、知り合う方も増えるが、去りゆく方も増える。どうやら縁のキャパには限りがあるらしい。

キャパの容量を増やすことも可能とは思うが、濃密な縁の数はほとんど変わらないと思う(知り合いは増えるけど親友と呼べる人はそんなには増えない、みたいなこと)。また、特に男女間の縁はつねに1対1な気がする。一夫多妻でもハーレムでも、一見すると数が多いようにみえるが、真につながっているのはひとりだけと思う。いや、余計に数を増やしたがために誰とも繋がっていない場合もありうる。そういえば最近そんな俳優さんがいましたね。

「去る者追わず」というのも気学では鉄則。なので祐気採りをして離婚するならそれは天意(もちろん、最善の努力をつくした上でのこと)。ただ、死別の場合は、離婚とはちとニュアンスが違うので注意。ここが2012年バージョン。2006年の頃は夫婦の死別なんていう想定はまったく頭にはなかった。

死別の場合は、後追い自殺してはいけないということ。これしたらおそらく永遠に再会できませんので要注意。で、そのほかに離婚と違うところは、まだ縁は繋がっているということ。死しても別れてはおりません(自分が相手のことを見聞きできないだけ。相手はいつもそばにいる)。なので死別後の再婚には十分注意が必要になる。この世で後妻と再婚して、あの世で先妻と再々婚という考えは、都合が良すぎる。この世で孤独よりもあの世で孤独の方が私には悲惨に思える。調子こいて多くの女性を泣かすと必ず痛い目に遭うよ、と、世のプレイボーイに忠告しておく。そう考えると草食男子というのは男の進化系ゆえ女性としては歓迎すべきことなのかもしれない。そこんとこの考察はまた別の機会で。それと、“死んだあとまでも夫と一緒なんてイヤ!”“一緒の墓に入るのもイヤ!”のケースも、また別の機会に。

ビジネスでの縁というのも、やはり「去る者追わず」が鉄則。しかしこれがまた難しい。いま自分が痛感している。中小企業の二代目や三代目さんの気持ちと一緒かも。先代が非常にカリスマ的で、自分の代になったとたん離客に困惑しているという感じ。まあ、どの企業でも商店でも、代が替われば苦労するのは当然のことで、そのピンチをいかにチャンスとするかが大切だということ。うん、自分に言い聞かせている。去る者追わずで顧客の新陳代謝を図る事こそが生き残るためのカギだよね。

インターネットというのは、四緑木気の象意でまさに「縁」そのもの。と、理屈では分かっていたんだけども、こうしてブログを始めてから、その意味がようやくちゃんと理解できた。10年前からインターネット自体はしていても、いわゆるロム専で、ほんとうの意味での他者とのつながり(新しい時代の縁)を経験したことが無かったんだと改めて気づかされた。今まで分かったつもりでいた自分が痛い。でも新しい世界にふれるのは楽しい。焦らずにゆっくりとこの世界を理解していこう。

※なお、上記で伏字にしている個所は「南」のことです。あの頃はタダで情報を提供することにものすごく抵抗があったが、それも時代が変わったし、私の気持ちも変わった。もし私が急にこの世を去ってしまったとしても、ブログに思いを残しておけるから安心。だからなるべく私がもっている情報はオープンにしていきたいと思う。